江戸期には中山道の宿場町として栄えた軽井沢。英領カナダ(当時)からやってきた宣教師、アレクサンダー・クロフト・ショーによって避暑別荘地として生まれ変わり、外国人や財界人がこぞって居を構えるようになった。そんな街の目抜き通り・旧軽井沢銀座通りに、老舗写真店「土屋写真店」はある。
「もともとは中山道の旅籠を営んでいたんです。初代が1906年に写真屋を創業したんですね。初めは軽井沢の街並みや、当時多かった浅間山の噴火の様子などを撮影していました」
3代目店長の町田靖彦さん(81)がそう教えてくれた。初代店長は、知人が宮内庁に勤務していたなどの理由から、1923年8月、軽井沢を避暑で訪れた昭和天皇(当時は大正天皇の摂政)の撮影係に抜擢された。ゴルフや乗馬を愉しむ昭和天皇の姿を、初代はカメラに収め続けた。これがきっかけとなり、写真店は以降、軽井沢に訪れる皇室ご一家の写真撮影を担い続けることになったという。
全国、津々浦々を訪れる印象の強い皇室ご一家。とりわけ軽井沢との縁は深い。その始まりは1878年、明治天皇の巡幸にまで遡る。第2次大戦中には、貞明皇太后、それからご成婚前の美智子さまが、それぞれ軽井沢に疎開した。美智子さまは軽井沢第一国民学校(現・軽井沢東部小)初等科5年に転入したという。
そして終戦。日本が平和の道を歩み始めた1957年8月19日、天皇は避暑で訪れた軽井沢のテニストーナメントで美智子さまと出逢う。場所は写真店のすぐ近くにある「軽井沢会テニスコート」だ。交際を深め、全国の国民が見守るなかで1959年4月10日、結婚の儀。この時は、明治以降で初の「平民出身」皇太子妃が誕生したとして、国民的「ミッチー・ブーム」が沸き起こった。時代が平成に替わり、ご夫妻が天皇、皇后両陛下として歩まれるようになったのちも、皇室ご一家は毎夏のように軽井沢を訪れている。
「『お元気ですか』『いかがお過ごしですか』って、本当に気さくに接してくださるんです。行く先々でお声を掛けて下さったり、笑顔を見せて下さったりして」
そう語るのは写真店主・靖彦さんの妻・夏子さん(81)。1997年、夏子さんの叔父である2代目店長が逝去。靖彦さんは都内の化粧品会社を定年退職し、2000年、軽井沢の店を継ぐために移り住んだ。町田さん夫妻は現在、お店を閉める冬期を除き、旧軽井沢で店頭に立ち続けている。
店内には明治時代の街並みや、静養に訪れた皇室の人たちのモノクロ写真が並んでいる。そして毎夏の「御来軽」の際に靖彦さんは必ずカメラを担ぎ、両陛下を撮影し続けている。3代続く「家業」を、ここ軽井沢の地でしっかり守っている。
写真集には、テニスコートでとらえた婚約前の笑顔の両陛下、軽井沢駅で町民に迎えられる姿など、静養中ならではの生き生きとしたショットが並ぶ。両陛下のほか、皇太子さま、秋篠宮さまご夫妻、清子さま(黒田清子さん)の笑顔も収められている。
なかでも今回、初めて披露した写真のなかで特筆すべきは、ご成婚前、テニスコートに訪れていた学生時代の美智子さまの姿を写した写真だ。「お后候補」として世間に広まる、ずっと前、学生時代の美智子さまの姿を写した1枚だ。
「もちろん当時は、美智子さまの存在を知っていたわけではありません。陛下を撮影していて偶然、ご一緒に写ったんです。見て下さい! 本当にお美しいですよね」。夏子さんは目を細めてそう語る。
2018年8月は、両陛下が在位中最後となる軽井沢ご訪問だった。靖彦さんは、昨年のあの酷暑のなか、軽井沢駅の駅前広場で、両陛下ご到着の約3時間前から緊張の面持ちで待ち続けたという。おふたりの姿が見えると、町民の大きな輪の中心で夢中でシャッターを切りながら、靖彦さんは深い感慨を覚えた。それと同時に、「写真店の老舗の意地」は忘れなかった、と笑う。
「おふたりの視線がたとえば別方向を向いてしまったものを撮ってはいけません。だから『美智子さま、皇后さま!』って声をおかけしたんです。すると、おふたりが振り向いて、微笑んでくださったんです」(靖彦さん)
柔和で晴れやかな表情を浮かべた1枚の撮影に成功。そこからは、おそらく第二の故郷とでも呼ぶべき思い出の軽井沢に降り立った瞬間の、両陛下の安堵感のようなものが漂って見受けられる。
軽井沢の街で代々、皇室を追いかけ続けてきた町田さん夫妻。今回、撮りためた写真を振り返りながらつくづく感じたこと、それは、テレビや新聞で両陛下のご公務の様子と比べ、「軽井沢での表情がとりわけ柔らかい」ことだという。
靖彦さんは言う。「軽井沢の街は、皇室の皆さまと共に歩いてきました。令和になってご公務が少なくなったら、もっともっと謳歌して頂きたいです」。夏子さんも「これからは時間に制約されることなく、楽しくお過ごしになってほしいです」と話す。
写真集はA4判176頁、定価3,800円+税。貴重な写真の数々のほか、特別寄稿として藤巻進・軽井沢町長、元侍従の多賀敏行さん、軽井沢町文化財審議委員会・会長の大久保保さんによる寄稿文も掲載されている。