最近、日本のクラシックホテルにはまっている。これは完全に夫の影響である。平成元年生まれなのに、「レトロ」や「昭和」といったテイストが大好きな夫。一緒に日本国内を旅すると、かなりの高確率でクラシックホテルの滞在を提案してくるのだ。
先日は、夫の誕生日のお祝いに、栃木県の日光にある日光金谷ホテルに宿泊した。もちろん夫の要望である。日光金谷ホテルは、1873年創業。東照宮の楽師をしていた金谷善一郎が、ヘボン式ローマ字綴りを考案したアメリカ人のヘボン博士の勧めで、自宅の一部を「金谷カッテージ・イン」として外国人向けの宿泊施設として開放したことが始まりだという。
私たちが泊まった部屋は大きな窓があって、光がたっぷりと差し込む部屋だった。部屋に備え付けられた調度品も過度な主張はせず、しっとりと場の空気にあうもので、居心地が良い。昭和初期から使用されていた記録があるという回転扉や、さりげなく飾られている美術品、金谷ホテルのロゴ入りの陶器や銀器、程よい距離感を保ちながらも適切なタイミングで接するウェイター…。なるほど、それら一つ一つの要素が折り重なって、クラシックホテルらしい趣きが生まれるのかとつくづく思った。
そして、金谷ホテル滞在中、イザベラ・バード(1831-1904)というイギリス人の旅行家の存在を知った。1878年、彼女は「本州の奥地とエゾ(北海道)」を3ヶ月かけて旅をし、日本の風景や旅の様子を書き残している。そのイザベラが書いた『日本奥地紀行』(平凡社)の中に、金谷ホテルに関する記述があったのだ。
私が今滞在している家について、どう書いてよいものか私には分からない。これは、美しい日本の田園風景である。家の内も外も、人の眼を楽しませてくれぬものは一つもない。(96ページ)
個人の家に住んで、日本の中流階級の家庭生活の少なくとも外面を見ることは、きわめて興味深いことである。(99ページ)
正確に言えば、彼女が泊まったのは、金谷カッテージ・イン(現・金谷ホテル歴史館。2014年に国の登録有形文化財になっている)なのだが、金谷ホテルの発祥の地であることには間違いない。今から140年以上前に、一人の女性が私と同じようにこの地を旅し、この地に泊まり、この地に魅せられたと思うと、不思議な巡り合わせを感じる。時代を超えて旅の経験を共有できるなんて、ロマンがある。ありすぎる。
余談ではあるが、日光金谷ホテルをはじめとする9つのクラシックホテルで構成される「日本クラシックホテルの会」が面白い取り組みをしている。3年の間に4つのホテルを巡ればペアランチ券、9つのホテル全てを巡ればペア宿泊券をプレゼントするというスタンプラリーをしているのだ。その名も「クラシックホテルパスポート」(税込1500円)。私たち夫婦も今回の旅からこのスタンプラリーに参加した。金銭的に得なのか損なのか正直わからないけれど、旅の楽しみが増えた。夫と一緒にクラシックホテルをめぐる旅は、まだまだ続きそうだ。