理論物理学者、S・ホーキング博士の最後の書下(かきお)ろしが話題だ。「神は存在するのか」「宇宙はどのように始まったのか」など、10の難問に答える。
宗教と科学が切り結ぶ問いに挑む科学者は、いつも逆風に晒(さら)される。日本にいるとわかりにくいが、ホーキング博士も例外ではなかった。神を持ち出すことなく、宇宙は自然法則によって何もないところから自発的に生まれたと説明したのだから。
本書でも前半は、宗教との対立が鮮明な宇宙創成の謎に、アインシュタインの一般相対性理論と、量子論で迫る。数式は使わないが平易でもない。先入観を捨て、平らかな心で読む必要がある。たとえば私たちは物事を因果で考える。宇宙の起源も時間をさかのぼれば原因があると思っている。それさえ問い直す対象になるということだ。
博士の功績はブラックホールの存在が証明されていない時代に、主要な問題を解決する理論を次々と打ち立てたことだ。宇宙には始まりがなければならないこと(特異点定理)。宇宙には空間と時間の境界がないこと(無境界仮説)。科学界をもっとも驚かせたのが、ブラックホールは熱を放出し(ホーキング放射)、最終的に蒸発するという仮説だ。ブラックホールは周囲を飲み込み増大するという仮説を根底から覆し、物議を醸した。
博士の言葉の端々には、自然の営みを人間が理解できる言葉に翻訳して後世に伝えた先人への敬意と、いつか地球に別れを告げなければならない未来への責任感が見て取れる。人工知能や宇宙移住の話も現実的な危機感が背景にある。博士曰(いわ)く、生命とは無秩序に膨張し続ける宇宙の流れに逆らって存在する「複製能力をそなえた秩序ある系」だ。その頂点に立つ人間は、自ら問い、考える力を手放してはならないのである。
先月、ブラックホールの写真が公開された。不気味だがワクワクする。今こそ、ホーキング博士のラスト・メッセージを思い切り味わいたい。=朝日新聞2019年5月25日掲載
◇
青木薫訳、NHK出版・1620円=3刷6万部。19年3月刊行。購買層は男性6割、女性4割。ブラックホールへの関心の高まりもあり、幅広い年代から反響がある。
編集部一押し!
- オーサー・ビジット 教室編 今を輝こう しなやかに力をつけてね 教育評論家・尾木直樹さん@高岡市立横田小学校 中津海麻子
-
- 杉江松恋「日出る処のニューヒット」 加速する冤罪ミステリー「兎は薄氷に駆ける」 親子二代にわたる悲劇、貴志祐介の読ませる技巧に驚く(第12回) 杉江松恋
-
- インタビュー 井上荒野さん「照子と瑠衣」インタビュー 世代を超えた痛快シスターフッドは、読む「生きる希望」 PR by 祥伝社
- インタビュー 「エドワード・サイード ある批評家の残響」中井亜佐子さんインタビュー 研究・批評通じパレスチナを発信した生涯 篠原諄也
- インタビュー きょうだいユーモア絵本「ぼくの兄ちゃん」が復刊! よしながこうたくさんインタビュー 子どもはいつもサバイバル 大和田佳世
- BLことはじめ BL担当書店員の気になる一冊【2024年1月〜3月の近刊&新刊より】 井上將利
- インタビュー 新井紀子さん×山本康一さん対談(後編) 辞書は民主主義のよりどころ PR by 三省堂
- インタビュー 新井紀子さん×山本康一さん対談(前編) 「AI時代」の辞書の役割とは PR by 三省堂
- インタビュー 村山由佳さん「二人キリ」インタビュー 性愛の極北に至ったはみ出し者の純粋さに向き合う PR by 集英社
- 朝日ブックアカデミー 専門外の本を読もう 鈴木哲也・京大学術出版会編集長が語る「学術書の読み方」 PR by 京都大学学術出版会
- 朝日ブックアカデミー 獣医師の仕事に胸が熱く 藤岡陽子さんが語る執筆の舞台裏 「リラの花咲くけものみち」刊行記念トークイベント PR by 光文社
- 朝日ブックアカデミー 内なる読者を大切に 月村了衛さんが語る「作家とはなにか」 「半暮刻」刊行記念トークイベント PR by 双葉社