性差別、変わる意識・滞る法整備
18歳の頃、社会は変化しつつあると思っていた。そして、女性の人生の選択肢が増えると素朴に信じていた。従来の生き方に加え、仕事を持って一人で子どもを育てる、あるいは同性のパートナーを見つけるなど、様々な道があるように感じていたのだ。当時の若者として平均的な考え方だったかはわからないが、こういう気持ちにさせてくれる時代の空気は間違いなくあった。
入学した大学は新旧の文化がぶつかる場だった。上野千鶴子氏の祝辞で触れられたように、東大生女子だけが入れないインカレサークルがあった。そこに集う女子大生を「バカな女の子」扱いする学生もいた。一方で、女性の教員は増え始めていたし、「自分の名字にこだわりたくない」と夫婦別姓に賛同する男子学生がいた。サークル案内には同性愛者の権利のため活動している団体の記載もあったし、今ならトランスジェンダーと呼ばれるような学生もいた。どれも1990年代のことだ。
実際に変化したこともある。たとえば私が入学したとき、大学で起きたハラスメントを訴える場所はなかった。しかし2000年代には次々と制度化された。私は当時ぎりぎり大学院生だったので、訴える側に回れた最初の世代だ。
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新しい価値観が出てきても、人の意識が変わるには一世代ほどかかるという説がある。そうだとすると平成の30年は助走期間だったのかもしれない。
だが、それにしても気になるのは、人々の意識は変わっているのに法律の変化が遅いことだ。特にジェンダーやセクシュアリティーの問題を人権と結びつけるという、この30年間に先進国で一気に進んだ動きが日本では停滞している。
たとえば夫婦別姓に関しては、私が若い頃から議論があったのに変化しなかった。刑法の性犯罪に関する内容も17年に改正されたが、加害者からの「暴行・脅迫」があったことが証明できなければ罪にならないという批判の多かった部分は変わらなかった。
以前、大学のダイバーシティー問題について調査したときに聞いたのは、人権擁護のための法の未整備が、日本の大学のハラスメント対策にも影響を与えているということだ。主な先進国では人権擁護や差別禁止の法を根拠にハラスメントの定義がなされ、手厚い対策が取られている。だが、日本ではそれがないため、各大学が独自にハラスメントについての細かいガイドラインを作って対応せねばならず、その内容や対策も大学ごとにばらつきがある。
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要するに日本では、法律が十分に対応できていない部分を、大学などの組織や自治体、あるいは民間企業などが一生懸命支える状況になっている。その結果、日本全体でみると不平等は広がっている。結婚前の姓を仕事で使えるかは今でも職場次第だし、ハラスメントへの対応も組織によって差がある。同性愛者であれば同性パートナーシップ制度を認めている自治体に住むのとそうでないのとで人生が変わってしまう。
既に生じている変化を認めて、今こそ本当に前に進むべきではないか。社会がこれ以上ばらばらにならないために。=朝日新聞2019年6月5日掲載