>【フルポン村上のモテ文庫劇場】第1話「星の王子さま」はこちら
時計の針が0時を指そうとするころ、「星の王子さま」の彼女が「この後、私のお気に入りのバーに行きませんか?」と誘ってきた。
この数時間で僕が彼女について知ったことといえば、名前はリカさん。
都内在住でここへは出張でよく来るのだそうだ。
そして、『星の王子さま』が大好きだということ。
持論だが、『星の王子さま』が好きな人に悪い人はいない。
2軒目のバーは、1軒目よりも広くて少しカジュアルな雰囲気の店だった。
カウンター席に腰かけると、僕はマッカランのロック、彼女はアマレットジンジャーをオーダーした。
「あれ? リカちゃん? 久しぶりー。元気してた?」
カウンター席から少し離れたテーブル席から、20代〜30代の男女のグループが彼女に向かって手を振っている。どうやらバーの常連仲間のようだ。
「ケンジさん、すみません。久しぶりに会うので、ちょっと挨拶だけしてきます」
そう言って、彼女は仲間たちの輪に加わっていった。
久々の再会に盛り上がる彼らを横目に、ウイスキーを独りちびちびやるのも悪くないなと思っていると、彼らの会話の断片が耳に飛び込んできた。
「リカちゃんと一緒に来た人って、もしかしてリカちゃんの彼氏?」
「えー! いつから付き合ってるの?」
「俺、リカさん狙ってたのになぁ……」
そんな言葉に、決して否定も肯定もしない態度の彼女。
心地よい酔いも醒め、急に心臓の音が大きくなっていく。恥ずかしさと自意識がまたしても暴れ出して、暗いバーでなかったら顔が真っ赤になっているのが自分でもわかるほどだ。
僕はいたたまれずに、『星の王子さま』を入れていたポケットとは反対側のズボンの尻ポケットから、文庫本を取り出した。
俵万智さんの『サラダ記念日』だ。
心の中で一つひとつの歌を読んでいくと、まわりの会話が気にならなくなっていく。
「お待たせして、すみません。あれ? 今度は短歌の本ですか?」
彼女はカウンターに戻って来ると、僕の隣に腰をおろした。
「そう。短歌って面白いんですよ。これとか」
僕はそう言って、体を少し彼女の方へと乗り出すようにして、本を見せた。
と、ほとんど同時に、彼女も本を覗き込もうと僕の方に近づいてきた。不意に彼女の香りがふわりと鼻をかすめて、再び心臓の音が大きくなる。
僕らは一冊の文庫本を間に肩を寄せ合った。
「確かに情景を想像したら笑っちゃいますね。あ、私、この歌にキュンとしちゃいました」
なんだ、この久しぶりの感覚は……。
これは、「デート」なんじゃないか。
「ケンジさんのお気に入りの歌ってどれですか?」
そう聞かれて、どの歌を選んだら彼女の心をつかめるのだろうと、邪な気持ちが頭をかすめた。
しばらく悩んだのち、「モテ」を意識せずに自分の感性に素直に答えることにする。
「これかな。『ハンバーガーショップの席を立ち上がるように男を捨ててしまおう』」
その答えが意外だったのか、一瞬、彼女との会話が途切れた気がした。
――To be continued... (最終話はこちら)
※この物語は村上さんの妄想をもとにしたフィクションです
フルポン村上のモテポイント
俵万智さんの『サラダ記念日』(河出文庫)は、キャッチコピーみたいでわかりやすいし、ハッとさせられるパワーがあります。
僕自身も、教科書に載っていた「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」を学校で習ったっきりで、短歌っていうものをよく知らなかったんです。それが、何気なく『サラダ記念日』を手にとって読んでみたら、こんなに自由なものなのかとびっくりしました。そこから短歌に興味を持ち始めて、僕自身が短歌を始めるきっかけにもなった本です。
「モテ文庫」の中身については、難しいものだと相手が「わからない」ってなっちゃうし、小説だと好みがわかれてしまうもの。でも、俳句や短歌、詩歌は、イメージ的にモテそうだし、短いから一緒に本を見ながら、ああだこうだ言えますよね。そうやって、出会ったばかりなんだけど、疑似デートができちゃう。「もしも、こういう言葉がラブレターに書いてあったらどう思います?」なんて話しているうちに、自作の短歌や俳句とか、ロマンチックな言葉を言いやすい環境にしていけると思うんです。
もう二度と会わないかもしれない人が「なんか不思議な日だったな」って思ってくれたらいいですね。
(撮影協力:伽羅沙)