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背中はアート、顔立ちはキュート 「蛾売りおじさん」が美しい蛾の刺繡を作るわけ

文:神田桂一 写真:斉藤順子

スーラのような点描模様に惹かれて

――蛾との出会いから教えてもらえますか?

 大学時代に深夜アルバイトをしていたんです。深夜12時から朝の5時くらいまで働いていて、家に帰るときに、コンビニがあったんですね。その白い壁に大きい蛾が点々と止まっていました。私は都会育ちなので、それまで大きい蛾を見たことがなくて、よく見てみると、凄く美しくて。蛾の翅(はね)ってスーラとかモネとか、筆触分割で描かれたような点描で模様が描き出されていて、生き物を観ているというよりは、アート作品を観ているような気持ちになったんです。蝶って近づくとすぐに飛んでいってしまうんですけど、蛾って身重な感じで動かないんですね。だから近づいて観察することが簡単にできるんです。背中は絵画のようなんですけど、前から見たら凄くキュートな顔立ちをしていて。そこに惹かれてしまいました。

――蛾って固定観念として、嫌われているというか、美しくないという刷り込みがあるじゃないですか。

 蛾とか蝶という概念よりも、そのものの美しさを見て欲しいと思います。SNSとかで綺麗な蝶がいたよっていって、画像を上げていて、実は蛾だったときに、「え、蛾なの!」という反応をされる方がたまにいらっしゃるんですけど、最初に綺麗だと思ったのに、なんで蛾だとわかったらそうなっちゃうの!というがあって、最初に綺麗だと思ったなら、それでいいんじゃないかって思います。

コンビニをハシゴして観察した青春

――蛾にハマってからというもの、生活は、どんなふうに変化しましたか。

 蛾を観察する生活が毎晩のように続きました。友人に蛾についての話をしたら、友人も興味を持ってくれたんです。山のなかの大学に通っていたので、灯りがあるのはコンビニだけで、そこに蛾が集まってくるので、夜な夜な友達とコンビニをハシゴして蛾の観察をしていましたね。流星群があると聞いたら、蛾を見ながら流星群も楽しんだりとか(笑)。今、その友人と2人で蛾売りおじさんをやっています。

――だいぶ変わった青春ですね(笑)。そうやって蛾にのめり込んでいったんですね。

 蛾って、日本だけでも5000種以上いるんですね。蝶は250種くらいなんで、桁違いに種類が多いです。生態もそれぞれ個性的で、最近知って驚いたのが、ミズノメイガという水草を食べる幼虫がいるんですね。この方はなんと幼虫時代を水中で過ごすんです。土に潜ってさなぎになる方もいれば、木の上で繭をつくる方もいる、いろんな生態の蛾がいて、いろんな大きさ、いろんな模様の蛾がいる、多様性もひとつの魅力だと思います。

――蛾売りおじさんは、蛾のことを方(かた)と呼ばれるんですね(笑)。

 あはは。背中の毛がマフのようで、貴婦人感があって、敬意を込めてしまうんです(笑)。19世紀のフランスの風刺画家グランヴィルの絵でも蛾を貴婦人に擬人化して描いたものがあるので、そういう感覚はもしかしたら昔からあったんじゃないかなと思っています。

――では、実際に刺繍で蛾を作ろうと思うにいたる経緯を教えてもらえますか。

 あまりに可愛らしく美しいので、ずっと胸に止まっていてほしいという感覚があったのですが、蛾に迷惑がかかってしまうので、じゃあ、ずっと胸に止まっていてくれる蛾を自分で作ろうということになったんです。とりあえず友人のプレゼントに蛾を作ろうということになって、これは布だなと思って、最初は、ぬいぐるみのような蛾を作り始めました。友人のすすめもあり最初は、それを学園祭で売りました。まだ、種類別ではなくて、曖昧とした概念としての蛾を作っていました。けれども、そのうちに、素晴らしいい様々な種類の蛾たちとの出会いがあって、布で簡略化するのは、忍びないと思い、試行錯誤して、重厚で繊細な模様を表現するのには、織りとか刺繍なんじゃないかと思い始めたんです。

――蛾を作られていくなかで苦労された点や嬉しかったことはありますか。

 大きい蛾ほど、一面を糸で埋め尽くすわけですから、凄く時間がかかるんです。終わりを考えると投げ出したくなるので(笑)。終わりを考えることを辞めました。この本でいうと、ヨナグニサンだと一ヶ月くらいで、一日中10時間くらい作業してそれくらいです。とにかく終わりを考えない、目の前の糸を刺す。蛾の種類にもよるんですけど、複雑なグラデーションがあるものだと、30種類以上の糸を使うこともあります。でもできる限り再現したいので、苦労はしますけど、その分燃えますね。それだけ本物さんが凄いってことなんですけど。嬉しかったのは、終わったときですね(笑)。完成した子を手に載せて、かわいい!よしよし、みたいな(笑)。

綺麗すぎるものは好きじゃない

――本のはじめに、で、蛾が好きになったことによって、視野が広がったと書いてらっしゃいましたが、具体的にはどんなことを知ったんですか?

 蛾に出会ったときに、名前を調べたいと思って、調べたんですね。図鑑とかで。そうしたら、当たり前のことかもしれませんが、蛾に名前をつけた人がいて、その蛾の幼虫を特定した人がいて、そういう人々の情報の蓄積のもとに蛾の世界が描き出されているんだなという気づきがあって、目がくらみました。あとは、カイコガという人間と関わり合いの深い蛾がいるんですけど、絹を産み出すカイコガは多くの土地で大切にされて「お蚕様」と様などの敬称をつけて呼ばれている地域も多いんだそうです。お蚕様が祀られているお社もあります。お蚕の本を読んでみると、養蚕に関しての知識だけでなく、いろんな文化とつながっているんですね。近年では医療用素材の開発や創薬にも貢献していたり、そういう蛾から他の分野への関心というか知識の広がりがとても貴重でした。蛾を通して世界が広がっていく感覚を感じています。

――蛾に美を見ることは、蛾売りおじさんのどういった美学に基づいているんですか?

 もともと綺麗すぎるものが好きじゃなかったんですね。植物の絵とかでも、薔薇だけが取り出されて美しく描かれているものに興味を持てなくて、どちらかというと、虫食いがあったりとか、ちょっと先が枯れていたりとか、散っていたりとか、綺麗すぎるものって、ちょっと嘘を感じてしまうということがあったんです。植物の絵であれば、必ず虫がいるのが好きで。蛾に対しても、意識としては、平均的というかフラットなイメージで見たいというのがあります。色々な側面があると思います。害虫としての蛾、完全変態の不思議、もふもふな蛾、人によっては気味が悪いという感覚を抱かせる模様、その模様が美しいと感じる人もいる、つぶらな瞳のお顔が可愛い、鳥や蝙蝠に食べられる蛾……様々な情報を得たり、観察することで多角的に蛾たちを捉えていきたいと思っています。どんどんと、偏愛的になっていって、あまりフラットじゃなくなっていっていますが(笑)。まあ、私は、蛾を作り続けて一生を終えるんだろうなって思います。