――このタイトルを見ただけで、世のお母さんたちは「ドキッとする」。早く出かけたいから、子どもについ言ってしまう言葉「はやく、はやく!」。子どもだけでなく、大人もスピードが求められる世の中で、せかされることがどんな気持ちか、それを短い言葉と鮮やかな絵で表現した絵本が、益田ミリさんの『はやくはやくっていわないで』(ミシマ社)だ。マイペースに進む主人公の船が、せかされたり、比べられたりして、気持ちが揺れる様子が表されている。
この絵本ができたのは、「世界のスピードがどんどん速くなってるなぁ」と感じたことがきっかけなんです。たとえば駅の自動改札。電子カードが普及して、みんなすごいスピードで通過するようになりました。前の人がチャージを忘れて引っ掛かると、その場にイライラした空気が発生することがありますよね。
あるとき、わたしもチャージを忘れてしまって。すると、背後から舌打ちが聞こえたんです。「すみません、ごめんなさい!」とあわてて列から離れましたが、考えてみたら、たいした時間じゃないんです。ほんの数秒のことですから。
せかさなくてもいいのに。はやくはやくって言わないで。そんな言葉が胸の中に広がりました。とはいえ、私自身も同じように「はやく!」と思うことはもちろんあります。私たちは、なにをこんなに急いでいるんでしょうか。
そんなできごとから、ふと子ども時代のことが思い出されました。子どものとき、「はやくはやく」って言われて萎縮した経験ってありませんでしたか? ゆっくりやればできることも、せかされると焦ってどんどん自信がなくなっていく。
小学校1年生のときでした。レクリエーションのときに教室でクジ引きをすることになったんですね。「はやくはやく」とクラスメイトは走り出しました。もたもたしていた私は列の一番最後になってしまいました。恥ずかしかったです。それに悲しかった。最後だから、きっといいものはなくなってしまう。しょぼくれて小さくなっていた私のところへ、先生がやってきました。そして、みんなの前でこう言ったんです。「一番最後に並んでえらかったな」と。先生は最後の子どものことまで、ちゃんと見ていてくれたんです。大人になっても覚えているぐらい、うれしいできごとでした。待っているから急がなくていいんだよ、自分のペースでいいんだよ、と先生は伝えてくれたんですね。そういう思い出も、この絵本へとつながっていったんだと思います。
――絵本の中では「どうしていそぐ」「くらべられるとどきどきする」など、はっとさせられるような言葉が続いていく。益田さんの言葉に呼応するように絵を描いたのは、平澤一平さん。その筆遣いと色遣いは、益田さんの詞をより鮮明に脳裏に焼き付けてくれる。
文章が完成し、絵は平澤さんにお願いすることになりました。ゆったりとしたのびやかさが必要だと思ったからです。ラフを見たとき、のびやかさの中にも力強さがあり、ぴったりだと思いました。絵の中で特に気に入っているのは、「どきどきすると ひんやりする」というページです。氷に入った船くんの絵を見たとき、緊張するとこういう感覚になるなって思ったんです。からだがひんやりするような感じ。このページはとても印象深いです。
実はこの絵本、普通の絵本よりページ数が多いんです。私が思うまま書いた文章に、平澤さんもまた思うまま絵を描き、編集者は「とりあえずやってみよう!」と思うまま編集した(笑)。誰も絵本の知識がないまま、おおらかに完成しました。
物語は最後に、かけあいのシーンがあります。大海原をのんびりマイペースで進む船くんが、「まっててくれる?」と問いかけます。それにたいして、私は「まってるよ」と答えます。「わらったりしない?」と問われれば、「わらったりしないよ」と答えます。とても好きなところです。声に出して読むと、ふわりと心がほどけるような感じがするんです。子どもたちが読みやすいように、どのページも短い文でできていますが、大人が子どもに読んであげたときに、両者がほっこりできるようなリズムも大事にしました。
――『はやくはやくっていわないで』は、外国での翻訳本も出ている他、続編とも言えるシリーズがある。『だいじなだいじなぼくのはこ』『ネコリンピック』『わたしのじてんしゃ』(すべてミシマ社)は、いずれも益田さんと平澤さんが一緒に作った絵本作品。ちょっと立ち止まって考えてしまうような内容が多い。
『だいじなだいじなぼくのはこ』は、人にはみんな生まれ持ってきた箱があって、そこには自分だけの力が入ってるんだよ、という物語です。その中に入っている力は、大人たちにも、そして本人にもまだわからない。わからないけれどあるんだよ、と伝えたかったんです。お誕生日の贈り物にしてもらえたらステキだな、なんて思っています。
『ネコリンピック』は、「よ~いどんで 走らなくて いいんだってにゃ~」とゆるいネコたちがスポーツ大会を開く話。この本は、ある先生が小学校の卒業式で生徒一人一人に配ってくださいました。「中学に行ったら、いろいろと競争が激しくなっていくと思うんだけれど、そんなときこの本を思い出してほしい」と読み聞かせしてくださったそうです。
これからも、いろんな気持ちを絵本に込めて届けられればと思っています。