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想い出のカレーうどん 真山仁

 幼い頃、母と外食する時の定番だった店がある。

 大阪府堺市の繁華街、堺銀座通りにある「かどや」という食堂だ。

 そこのカレーうどんの味が忘れられない。カレーライスが苦手だったのに、この店に連れて行ってもらうと、迷わずカレーうどんを選んだ。

 当時は、紙エプロンのサービスなどという気の利いたものはなく、持参したハンカチをシャツの前にかけるのだが、夢中で食べるうちにずり落ちる。結局、シャツを汚すのだが、カレーうどんの時だけは、なぜか母は叱らなかった。

 母が若い頃から、よく通った店の名物だったからか。息子がそれをうまそうに食べるのが嬉(うれ)しかったようだ。

 「あんたは、好物は、ほんまにおいしそうに食べるわ」と母に言われたのも、カレーうどんの味と一緒に覚えている。

 それほどまでに好きになったのは、濃いめのうどん出汁(だし)のせいだと思っている。最近は、スープカレーうどんというものもあるが、「かどや」のカレーうどんは、カレーの味に負けないしっかりとした出汁が効いていた。

 その旨味(うまみ)が片栗粉のとろみによって絶妙に麺に絡む。そして、味わい深い「かどや」ならではのカレーうどんが完成する。

 一度、家族が注文したきつねうどんを、少しだけ分けてもらったことがあった。出汁はおいしかったが、やっぱりカレーうどんの味には勝てない、と思った。

 最後に「かどや」を訪れたのは、四〇年以上も前になるだろうか。

 両親もすでに他界し、堺市との縁も薄くなってしまって、想(おも)い出の味は、遠くなった。故郷をしみじみ思い出すタイプではないのだが、あのカレーうどんだけは、故郷の味として妙に記憶している。

 果たして、「かどや」は、まだ存在するのかとインターネットで調べてみた。すると、ある時期閉店していたようだが、現在は、以前店があった場所の近くで営業しているという。

 しかも、カレーうどんが「昔から名物」と銘打って人気を呼んでいるようだ。店は昭和二五(一九五〇)年に開店したともあった。そして、現在も昔のカレーうどんの味を守っているそうだ。

 当時、「かどや」には、もう一つ名物があった。

 それは、おはぎだ。カレーうどんを食べて、お土産におはぎを買って帰る。

 それがとても嬉しかった。そんな子ども時代をすっかり忘れていた。

 こんな原稿を書いていると、無性に「かどや」に行きたくなってしまった。=朝日新聞2019年9月21日掲載