8月末に没した池内紀さんの仕事を振り返ると、ドイツ文学者として翻訳ばかりか、特にナチス問題を繰り返して検証し、更に人生を自身の身の丈に合わせて生きる大事さを語り続けたと、今は強く感じる。
まずは翻訳。東大教授を辞してまで完訳したカフカ全集から選べば、『変身』を挙げたい。1912年に書かれた奇妙な物語だ。主人公ザムザが朝、目を覚ますと、自分がゴキブリのような虫に変わっているのに気づく。彼は家族のために日々働いているのだが、虫に変わると部屋から出られず、やがて腐った残飯を好んで食べ、逆に家族は生き生きと暮らし始めるのだ……。
池内は本編を今や日本ではありふれているのでは、と解説する。例えば「ある日、息子が勤めをやめて、部屋に閉じこもる。あるいは、いつまでも仕事につかずノラクラしている。一家の働き手が職を失い、のべつ家にいる場合はどうか。あるいは老いた父親が認知症と診断された」事態そのままではないかと。要するに『変身』は今こそ現実味を持つと指摘する。
抵抗する文学者
カフカの小説は、実は彼の存命中はさほど知られなかった。読まれはじめたのは、彼の小説『審判』そのままにユダヤ人が突然、逮捕される事態が現実に起きた時期と重なる。つまりナチスが権力を握った時期だ。
池内はナチスについても丹念に調べた。『闘う文豪とナチス・ドイツ』は副題に「トーマス・マンの亡命日記」とある通りマンの日記を読解しつつ、彼がナチスといかに闘ったかを綴(つづ)っている。ノーベル文学賞を受けたマンの存在はナチスにとり、煙たかったはずで、マンが講演で出国したのを機にナチスは彼の母国への入国を禁じた。以来マンはアメリカに暮らし、ナチス批判を講演や新聞などで発表し続けた。この本に池内の独自性を感じるのは、マンとは異なる立場でナチスと闘った文学者たちの動きも描いた点だ。ツヴァイクはブラジルに亡命し妻と自殺した。劇作家のブレヒトはマンとアメリカで会っているが、互いに無視した。つまり池内はナチスが何故、大衆に熱狂的に支持されたのか、その本質をナチスに反旗を翻した文学者たちの動きを通して見つめ、文学者の在り方を多角的に問いかけたのだ。ならば当然、日本はどんな状況だったか、抵抗する文学者はいたか、という新たな問いが生まれるだろう。
日本の戦時下の姿は、池内自身が自費出版した一冊が的確に示している。現在は品切れの長尾五一著『戦争と栄養』(西田書店)。この本の巻末に池内は、出版した経緯を説明し、著者の長尾は池内の母方の叔父で、軍医であったと紹介している。本書で長尾は戦時に亡くなった多くの兵士が戦死ではなく、食糧不足による栄養失調症で没した事実を自身が調べたデータを根拠に詳述している。日本では文学者が抵抗する以前に、兵士の食糧さえ不足していたのだ。
〈二列目の人生〉
だからこそ池内は、戦時中も自身の節を曲げなかった『恩地孝四郎 一つの伝記』を書き上げたのではないか。恩地を知る人は今や少ないだろう。装丁家として知られているが、彼が大正から昭和初期、油絵や版画、そして詩の世界に新しい波を起こしたグループの中心人物だった事実を池内は詳細に調べた。
実は恩地の他にも、彼は忘れられた人物をよく綴った。旅行好きの彼は旅先の古書店で見つけた本を資料に、忘れられた人物たちに光を当てた。綴った本のタイトルになぞらえれば、〈二列目の人生〉を生きた人々だ。偉くなったつもりで一列目に並ぶより二列目で自分の世界を見つけ、創造する楽しさ面白さを、池内さんは自分自身の仕事で最後まで語り続けたのだ。=朝日新聞2019年10月19日掲載