かつて小田急線の経堂駅の近くに、「あさひや」という赤提灯(ちょうちん)があった。
七人掛けのカウンターと六畳ほどの座敷に置かれた四卓のテーブル。内装も厨房(ちゅうぼう)も昭和二十二年の創業時のままで、電話ナシ。冷蔵庫は氷箱。ビールは氷水漬けという、終戦直後の昭和の雰囲気を漂わせた店だった。
私はこの店をこよなく愛した。都心に越した後も、電車に乗って通い続けたし、常連客の中には、千葉の柏から定期で連日通っていた人もいたほどだ。
なにしろ美味(うま)いのである。安いのである。雰囲気が素晴らしいのである。
まずはビールを注文すると、マスターが小窓を開け、外から氷水に漬け置いたビールを取り出す。大瓶五百円。これが冷え加減が絶妙で美味いのなんの。毎朝店で炒(い)り直す突き出しのピーナッツは、何とタダ。一本七十円のモツ焼きは、注文を受けてから支度に取りかかる。焼き加減、モツの大きさは絶妙。味もまた絶品と言うほかなく、創業以来注(つ)ぎ足されたタレに浸され、備長炭で焼かれたシロのジューシーなこと。ほどよい厚みのタン塩の美味いこと。コップになみなみと注がれた焼酎は一杯百六十円だ。センベロという言葉があるが、まさにあさひやはそれで、一人ではいくら頑張っても二千円に届かなかった。
あまりに申し訳ないのと、少しでも長く続けて欲しいという思いもあって、釣りを受け取らない客も多かったが、マスターはそれを、手伝いのおばさんに全額渡していたと後に知った。
だから、客は引きも切らず。あさひやが、多くの人を惹(ひ)きつけて止(や)まなかったのは、マスターの人柄によるところも大きかったのである。
フランキー堺にそっくりなマスターは、インパール作戦の生き残りで、「運が良かった。余生は人さまを楽しませたい」とあさひやを始めたと聞く。博識なのに自ら語らず、笑顔を絶やさない。黙々と働くマスターの姿を見ながら、あさひやで過ごす時間は至福の一時だった。しかし、その一方で、あさひやがなくなってしまったら……という不安を常に覚えたものだった。
そして、ついにその日がやってくる。
固く閉ざされた引き戸の前に置かれた白菊の花束で、希代の名店あさひやの終焉(しゅうえん)を知った。
常連客は実に多彩で、著名人も多くいた。写真家の浅井愼平氏もその一人で、本稿のタイトルは、氏が焼酎・いいちこのポスターとして撮影したあさひやの写真に添えられたコピーである。
そう、愛される酒場に、はやりはいらぬのだ。=朝日新聞2019年11月2日掲載