小説は人間の実験箱 「自由だな」
葬儀の代わりに営まれる「生命式」は、死んだ人間を参列者が食べて、参列の場で出会った男女が「受精」に進む「死から生を生む」儀式。亡くなった職場の同僚のカシューナッツ炒めにみぞれ鍋、角煮……。戸惑っていた主人公は徐々に式の意義に目覚めてゆく。文芸誌の新年号向けに「自由に書いてほしい」という依頼を受けて、「すっごい怒られると思ったけれど、もっとはじけていいと編集者に言われてうれしかった。小説って自由だな、実験していいんだな、と思いました」。
あらすじにはぎょっとするが、常識への問いかけは、繰り返し向き合ってきた重要な主題だ。タブーはなぜタブーなのか。子どもの頃からずっと考えていたそうだ。「殺して食べたらだめですが、死んだ人の肉なら誰も傷つけないし、食べたらたぶんただの肉じゃないですか、食べたことないけど。熊から見れば私たちはただのえさで、そのことを忘れて人間は自分たちが特別だと思っている」
常識を疑う視点は、小学生の頃の体験にある。父の単身赴任先の社宅で初めてゴキブリを見たとき、「すごいきれいな虫だ」と思ったそうだ。ニュータウン育ちで見ることなく育った。「角がないだけでほぼカブトムシ。そう思っていたら、いつも堂々としている父と兄がものすごく汚いものを扱うように殺したんです。その次に、ゴキブリを見たら、私もぞわっとするようになっていました」
ゴキブリを殺して、チョウを逃がすのはなぜか。きれいと汚い、正しいと悪い。「すごく不確かだと思ったんですね。変わった人だと思われがちですが、私はすごく平凡で、周りの感情に流されやすいのです」
とりわけ異色の度合いが高いのが、少女2人が裏山で秘密のペットを飼う「ポチ」。友人が大手町で拾ったのは無精ひげのおじさん。実はこれが、コンビニ店員として働くときしか充実感がない女性を主人公にした「コンビニ人間」の原石だった。
コンビニを舞台にしようと決めて書き始めた。「最初は、店長に内緒で、コンビニのバックヤードでおじさんを飼う話でした」。かつてクラスのみんなでこっそりと野良犬を飼い、大人に怒られたことがあった。「書き進めながら、そもそもおじさんが何なのかわからなくなって。全部捨てて、舞台はそのまま書いたのが『コンビニ人間』でした」。昨年のテレビ番組の企画で、即興のように話を作ったら「ポチ」になった。
短編も長編もラストは決めずに書く。「小説は実験箱」だそうだ。「小さい水槽に人間を入れて見ていると何かが起きる。作家の手を離れて化学変化が起き、小説は終わる。自分のことを小説家じゃなくて、マッドサイエンティストに近いんじゃないかと思うときがあります」(中村真理子)=朝日新聞2019年11月6日掲載