新書編集部への異動初日に編集長から原稿を渡された。1996年の水俣・東京展で行われた水俣病患者10人の講演記録だった。「昔の公害を今さら本に?」という気分で読み始めた。自分の身体に引き受けることになった現代の矛盾を、痛む身体から絞るように紡ぎ出した、今へと続く大切な言葉であり、人間と自然と社会を根本から問うた声の連なりだと気づいて、最初の印象を深く恥じた。
水俣病「発見」のきっかけとなった妹を亡くし、もう一人の妹の世話を続ける下田綾子さん。凄(すさ)まじい差別や偏見の中で病を隠す人々の説得に廻(まわ)り、チッソや国・県を相手に闘い抜いた川本輝夫さん。水俣病になったからこそ人としての生活が取り戻せたと語る杉本栄子さん。なかでも漁師の緒方正人さんの語りに強い衝撃を受けた。父親を殺したチッソを恨んできたが、チッソがらみの便利なモノであふれる豊かな時代の中で、チッソとは自分なのではないかと考えるに至る。
本になった『証言 水俣病』を患者さんたちにお届けした。緒方さんは手に取ると、「なぜ新書は、どれもこれも同じ厚さなのか。広辞苑ぐらいの本や3ページで終わる本は、なんで無(な)か?」と言われた。異なる人の思考を同じ鋳型にはめ、工業用の規格品みたいに扱っているではないか、と聞こえたその問いに、駆け出しの編集者だった自分がどう答えたか覚えていない。だが、その問いは、20年経った今も忘れることはない。=朝日新聞2019年11月13日掲載