いつの頃からか、なぜこの国で「朝鮮人」に生まれたのか、という問いに縛られた。苦しかった。その苦しみを1冊の本が救ってくれた。李恢成(イフェソン)『われら青春の途上にて』。母の書棚に隠れていた文庫本。それから本の力を信じた。
本の中に民族を発見して以来、読んだ、そして読んだ。在日作家の小説を手当たり次第に。「在日すること」の答えを求めて。その頃に李良枝の小説と出逢(であ)った。初めての女性作家だった。驚いた。祖国「韓国」がすでに舞台だった。日々の体験を刻んだ留学生活が描かれていた。以後、発表されればその小説を読んだ。震えた。本国の韓国人の目で在日同胞(チェイルトンポ)が描かれていた。理想とする「本当」の韓国人になれない現実が描かれていた。
作家は、肉体も精神も日韓の狭間(はざま)で息をし、母の言語〈日本語〉と肉親の言語〈韓国語〉に引き裂かれた在日2世女性を書く。その狭間を生き抜くための杖を狂おしいまでに摑(つか)もうとする女性たち。それは作家自身の姿であった。本書にはその格闘の跡が生命の匂い濃くトレースされている。作家がこの地で修得した、伽倻琴(カヤグム)の調べに舞う伝統舞踊サルプリのように。
デビュー作「ナビ・タリョン」で、「日本」に怯(おび)え、「ウリナラ」(母国)にも怯えると主人公に言わしめた作家は、韓国を愛す、日本を愛すと呟(つぶや)き、37年の生涯を閉じた。2016年に建てられた文学碑からは、少女の頃には憎んだ、生まれ故郷に立つ「富士山」が一望できるという。作家が逝って今年で30年が経つ。=朝日新聞2022年3月9日掲載