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宮内悠介さんがポップな文体に憧れたカート・ヴォネガット『デッドアイ・ディック』 「のぞき穴」から垣間見た世界

 ある本を思い起こそうとするとき、ぼくの場合、その本の内容よりも「人」が想起されることが多い。たとえば、その本を熱心に勧めてくれたサークルの先輩。どこの誰かもわからないけれど、ウェブに熱い感想を寄せていたアカウント。あるいは、子供のころに大好きだった本だったからと、わざわざ買ってプレゼントしてくれた人。ぼくと本とのつながりは、とりもなおさず、人とのつながりでもあると感じている。

 もっとも、なんらかの思い出と紐づけられるわけだから、そこにはやはり補正がかかる。フェアに、その作品のみと向かいあうのとは違うわけだ。実際、身近な人が書いた文章は三割増しくらいに見えたりもする。(なので、いま携わっているとある選考では、作者名を伏せて送ってほしいと編集さんに頼んだ。)
 そういうわけだから、たぶんぼくは公平なよい読書家とは呼べないのだろうと思う。でも、心のどこかではこうも思うのだ。人とのつながりによって、ある作品が強く記憶に焼きつけられる。読書とは本来そういうものではなかったか、と。少なくとも、これはこれで、一つの読書体験と呼べるものだとは思う。

 こうして、十八歳か十九歳のころに強く記憶に残った書き手が、カート・ヴォネガットだ。そのころ、ぼくはポップな文章というものに憧れ、初期の村上春樹や高橋源一郎などを参考に文体練習をしていた。(誰でも通る道だ。)
 そこで、彼らに影響を与えた作家として、ぼくはヴォネガットの作品を読むよう勧められたのだった。ぼくはたちまちそのシニカルな笑いや人情味の虜となり、いま振り返ると赤面するような、それっぽい習作を多く残した。

 一番好きだった一冊を挙げるなら、『デッドアイ・ディック』かもしれない。この小説では、生まれ、死ぬことが「のぞき穴が開く」「のぞき穴が閉じる」と表現される。のぞき穴を通してこの世を垣間見て、そしていずれその穴が閉じる、というわけだ。けっして著者の代表作ではないのだけれど、ここにある死生観のようなものは、いまもぼくに影響を残している。
 ヴォネガットを勧めてくれたのは、サークルの同輩であったN君。このN君が、とかく恰好よかった。外国文学に詳しくて、言葉は少なく、けれど口を開けばそこに洞察が感じられる。なんというか、佇まいのいい読書家であったのだ。あるいはぼくは、N君の「のぞき穴」から見える世界を垣間見たかったのかもしれない。