生前を怖れないのに死後を怖れるのはなぜか
磯﨑 最近、僕は本当に外出するのがめんどくさくなってきて。
横尾 僕も。絵を描きたくないですよ。
磯﨑 外出と絵は違いますよ(笑)。授業があるときに大学まで行くのと、家の周りを歩くぐらい。それ以外は外出しなくなってしまった。そのかわり、原稿が書けているときの感じだけが楽しくて、それで十分だという気持ちに最近はますますなってきていますね。
横尾 僕はそれも嫌だね。できれば、何もしたくない。
磯﨑 でも横尾さんは、描いてない描いてないと言って、やっぱり描いているじゃないですか。
横尾 テーマ主義者でもないし、様式の追究もしていないけれど、絵を描くのが嫌になった、という、そういう環境と心情で描いた絵はどんな絵だろうかという興味があって、いやいや描いているんです。
保坂・磯﨑 ははは
磯﨑 でも、横尾さんも色を塗っているときの面白さ、みたいなものはありませんか?
横尾 ないないないない。
磯﨑 ないですか。
横尾 しんどい。(肩や腕をさわりながら)このへんしんどいな、と思いながらやっている。きのうも公開制作を4時間ぐらいやったけどさ、もうやだなあと思って。後ろで見ている人たちへのサービス。絵がどう変わっていくかというスリリングさで見ているんだけど、そんなものに応えなきゃいけない自分が嫌になる。ますます嫌になる。
保坂 じゃあ、やらないという選択肢はないんですか?
横尾 やらないとその心情はわからないんですよ。だからとりあえずやって、ああやっぱり、嫌だなあって思う。
保坂 わかった。それが生きるということ。とりあえずみんな1回生きてみて、あ、やっぱりやだなあ、死んでるほうが楽だなあ、生まれるんじゃなかったなあって思う、そういうことですか。
横尾 全く保坂さんが言う通りです。その心境に到達すると悟りです。
保坂 生まれる前の自分のいない状態を誰も恐れていないのに、なぜ死後の世を恐れるのか。
横尾 それは、いろんな見方があると思いますよ。生まれる前は死の世界にいたんです。つまり死んでいたわけでしょう。死の世界で満足しなかったので、もう一度、現世になりたかったんです。死ぬのが怖いというのは再び生まれる以前の世界、つまり死の世界にまた入るので、以前の死の世界で満足していなかったから、再び満足しない世界に行くのかと思って怖がるんです。モーリス・ルブランというアルセーヌ・ルパンを書いた人の本がこの間出たんだけど(ジャック・ドゥルワール著『いやいやながらルパンを生み出した作家 モーリス・ルブラン伝』(小林佐江子訳、国書刊行会))。ルブランはルパンを書くのが嫌で嫌で仕方がないという。だけど彼はモーパッサンのお弟子さんで、モーパッサンに認められていたんですよ。純文学ができるやつだぞ、と。それを目指したいのに、彼に降りてくるインスピレーションはルパンのアイデアばっかり。しょうがないから書く。書いたら爆発的に売れる。出版社からまた書けと言われる。嫌だ嫌だと言いながら彼はルパンを書いていって、死ぬんです。嫌だ嫌だ、というのがなんともいいんですよ。本人はそれがいいとは思っていないけれど。僕はルブランに、すごいレベルに達しているじゃないか、と言ってあげたいんです。
嫌々書くものには自我が入らない
保坂 宇能鴻一郎という小説家も書きたくない小説を書いている。
横尾 そういうときは良いのが書けるんですよ。
保坂 良い小説とは言いづらいんだけど。とにかく、あの小説を作っちゃったら、売れるもんで、どんどん注文が来て、お金もたまるし、仕事は嫌だし、というインタビューをどこかで読みましたよ。
横尾 嫌だけれども売れるんでしょう? 売れるというのは嫌々書いているから売れるんですよ。そこには自我が入らないから。俺は良いのを書いて一発当ててやろうとか。そういうふうに思っていないわけ。うちの親父が、大阪の阿倍野で呉服の仕事をしていて、近くの喫茶店でいつも会う人がいた。その男はポン引きだとうちの親父は思っていたらしい。その人とは馬が合ったらしいよ。そのおじさんがある日、東京に帰るという。そのときに、おみやげでこれをあげるよさようなら、といって。本を見ると作家の名前が書いてあった。
保坂 うそ?本当に?
横尾 それで、あのおっさん、こんな本を書いている人か、とうちの親父はびっくり仰天した。
保坂 宇野浩二じゃないですか?
横尾 そう、僕は宇野浩二の話をしている。
磯﨑 宇野浩二と宇能鴻一郎は、かなり違いますよ(笑)。
横尾 鴻一郎は、僕は知らない。
磯﨑 宇能鴻一郎はなんであんな小説を書くようになったんだろう。
横尾 どういう小説を書く人ですか?直木賞系?
保坂 芥川賞作家なんです。
横尾 ああそう、二人とおんなじじゃん。
保坂 ただ、よくわからないけれど、発明したんですよ、文体を。あたし、ぬれちゃったんです、という女の語りにしたんです。これが大発明で、すごく売れたんですよ。
横尾 発明みたいに、努力しないといけないことをするのはおかしい。発見だったらいいですよ。すでにあるものを見つけるのだったらいいけれど。発見はマルセル・デュシャンですよ。あるものをひょいと持ってくる。発明は、ないところから形を作るから、しんどい。その人はしんどいことをやってたんですね。
保坂 発見、発見。とにかく売れて、注文殺到で、お金はあるけれど遊ぶ時間がない。
横尾 最悪だね。遊ぶ時間が、一番大事なんですよ。
磯﨑 宇能鴻一郎ってまじめな人なんですかね。
保坂 そうそう。
横尾 第一義が遊び、仕事は最後でいいです。世の中が間違っているから、世の中に迎合するとそうなっちゃうわけ。世の中の犠牲にはなりたくないですよね。僕も長い間、世の中の犠牲になっていたけれども、今はもうなりたくない。
磯﨑 犠牲になっていたという感じがしますか?若い頃?
横尾 メディアと仕事をしていたから。とくにグラフィックの頃。注文が来ないと成り立たないですよ。何もないところにデザインを作って、それでお金をくれる人なんていない。アートは別ですよ。発注を受けてする仕事は、ある意味、犠牲になっていました。
磯﨑 画家宣言をしてからなくなりましたか?
横尾 70歳で体を悪くして、このままだと寿命があと1、2年で終わるなと思った。僕は自分に宣言するために『隠居宣言』という本を書いた。あれはみんなに薦めたんじゃなく、自分に対してだった。
磯﨑 保坂さんは、最近、原稿書くのが楽しくなってませんか?
保坂 苦痛じゃない。
磯﨑 前よりも……。
横尾 お茶、飲んでいい? コップ持ってくる(と立ち上がる)。
磯﨑 大事な話しているのに遮られた(笑)。保坂さん、一時期よりもすごくのって書いていますよね。
保坂 のっているんじゃなくて、とくに考えずに書ける。
磯﨑 7、8年ぐらい前に、自分の書いているものがなんかつまんなく見えてしょうがないと思いながら書いているんだ、というようなことを言っていたじゃないですか。カフカを読み過ぎてちょっとまひしているんだ、と。
保坂 7、8年前っていうと、『未明の闘争』の頃かな。
磯﨑 その頃の感じとは、今は違うんだろうな、と思った。
保坂 あきらめたから(笑)。
磯﨑 『カンバセイション・ピース』(2003年)の頃の、完成させようという感じがないのは、『未明の闘争』の頃から既にそうなんでしょうけれど。
(横尾さんがコップを手に戻ってくる)
磯﨑 横尾さん、やっぱり、とんかつ屋さんに行きましょうよ。寒くてもみんなどうせ歩いて駅まで戻らないといけないから。
横尾 お店の人に、ひげを切りなさいって言われるからあそこには行かない。
磯﨑 そんなことを言うそば屋には行かないですから。とんかつ屋に行きましょうよ。出前よりお店で食べたほうがおいしいですし。
横尾 行きたいの?
磯﨑 行きたいです。
横尾 とんかつ屋の折り箱は、いい香りがするんですよ。(保坂さんに向かって)磯﨑さんは自分の家がとんかつ屋に近いから行こうと言ってるんですよ。
磯﨑 妻が出かけちゃって、犬がひとりなんですよ。犬の様子を見に帰りたいんですよ。
横尾 家庭の事情なの。とんかつじゃなく、犬だったんだ。
磯﨑 犬をひとりで置いてきちゃったから。かわいそうでね。今、保坂さんに大事なことを聞いていたのに、うやむやになってしまった。でも、のびのび書いている感じはありますよね。
保坂 この間、『未明の闘争』の導入を読んだ。本人は頑張ったかもしれないけれど、成果は出ていないなという気がした。あんまりおもしろくないな、と。
磯﨑 「文學界」の「夜明けまでの夜」は、ドライブ感がすごいですよ。
保坂 あんまり考えなくても結構書けるようになった。
磯﨑 小説的思考塾をやっているのは関係ある?
保坂 それは関係ないね。一番関係しているのは、「群像」の連載をずっとやっていること。
横尾 何?運動?
保坂 群像。
横尾 ああ、群像。毎日運動しているのかと思った。
保坂 今までの連載と気持ちが違う。とりあえず書くというだけ。連載のいいところは、今まで書いたネタをある程度、前提にできて、いちから書かなくていい。同時に、終わりもけりをつけなくていい。だから、ぼわあっと書けるわけ。だいたい毎月50枚ぐらい書いている。原稿用紙に書いているけれど、今、ぜんぜんマス目に入れていないから。23行から25行ぐらい、1行も23文字ぐらい。だから何枚かもわからない(笑)。今までは1日3枚ぐらいをめどに書いていたけれど、今はもっと書いていると思う。
磯﨑 僕は今、書いている「文學界」の連載が自分でもおもしろくて、けっこういいペースで書けているなと思う、それでもやっぱり1日3枚ぐらいですね。
横尾 なんだか気の毒な話。
保坂 気の毒?じゃあ、横尾さんは?
磯﨑 早いんでしょう?
横尾 早いですよ。
保坂 つるつる書けちゃうんですか?
横尾 わりかしね。
磯﨑 文學界の連載は1日で書いているんでしょう?
保坂 うそ!?
横尾 1日で。
保坂 手書きですよね。
横尾 手書き。
保坂 あれだけの量を、1日で?
磯﨑 30枚ぐらいはありますよね。
横尾 1日は無理でも1日半ぐらいで。
保坂 ほんとに?
横尾 書こうと思ったら、頭の中に文章が浮かんでくるから書いちゃう。最初は20枚だったけれど、30枚、40枚となって、今は60枚。まだ編集者に渡していないけれど。
保坂 1日何時間、書くんですか。
横尾 午前中スタジオに来て、ごはん食べるまで。明くる日に少し持ち越すこともある。
保坂 絵は描かずに小説だけ?
横尾 そのときは絵は描かない。
磯﨑 文字を埋めるだけでもけっこう手が疲れるぐらいのスピードでしょう。
横尾 絵が嫌で嫌でしょうがないから、小説を書くほうが楽なんですよ。僕は小説を書いたって小説家になろうとは思ってないから、小説家と競争もしていない。趣味としては楽なんですよね。
磯﨑 それはすごくいいことだと思いますよ。
横尾 苦痛は感じないんですよ。親鸞がぽんと浮かんできて、ここで一言、親鸞に何か言わせようと思うと、僕の仏教的知識と何かが一緒になって出てくる。親鸞になったつもりになるわけ。次に、ジャン・コクトーが出て来て、コクトーと親鸞を論争させたら面白い、と思って、今度はコクトーになったつもりになって書く。それは苦痛じゃない。小説を書いていないから。
磯﨑 それはやっぱり小説なんでしょうけれど、自分はいま小説なんか書いていないんだという意識は大事ですよね。
横尾 これを書いてなんぼのもんだとか、目的や手段、大義名分がないので、楽なんです。絵にはあったんです。無意識のうちに美術界という世界があった。美術界という世界を僕から全部放出してしまって、描くことは全部やっちゃったような気がする。これからやることはないと。何もかもやりきったというのとはちょっと違う。飽きたといったほうがいいのかな。飽きた状態で描ける、飽きたような絵が見たかった。
磯﨑 僕らもそうですよ。デビューして何年間かは書きたいことで書けるんだけど。
飽きた状態で描いた絵を見てみたい
横尾 さっきのルブランの本を読んでいると、ルブランは考えなくても潜在意識からものすごく情報が出てくるというわけ。それでなんぼでも書ける。書いたのが爆発的に売れる。
磯﨑 ルブランはルパン以外を本当は書きたかったんですかね。
横尾 モーパッサンの弟子だから。
磯﨑 それなら、ルパンはやめた、と言ってやめれば。
横尾 やめたくても飯食わなきゃいけないから。純文学で飯食えないわけですよ。それと次々浮かぶんです。ルパンが書けと言っているように。
磯﨑 でも横尾さんは「画家宣言」したときに、グラフィックを捨てたわけじゃないですか。
横尾 グラフィックでもうやることはないなと思ってね。
磯﨑 その後もグラフィックを続けていたかもしれない、とは思わないのでしょう。
横尾 思わない。画家に転向しないまでも、グラフィックはどこかで終わったと思う。後半、飽きちゃっていた。
磯﨑 でも飽きちゃったけどしょうがなくやっている人はたくさんいるでしょうね。
横尾 しょうがないって何のため? 生活のためにしょうがないからやっているのか、頼まれたからやっているのか。僕はしょうがなく描いているんじゃないですよね、飽きた状態で描いた絵を見てみたい。そこに自我が死んだという言葉をキャンパスの下にこれから入れるんですけどね。自我だけで絵を描いてきた、それを外したときにどんな絵が描けるのかな、と。そうしたら、ちょっと前から、絵が嫌になってきた。面倒くさくなってきた。あ、この感覚だな、と思った。再来年、大きい美術館で展覧会をやるんだけど、館長や学芸員は僕のやっていることを首をかしげて見ているよ。
磯﨑 どこの美術館でやるんですか?
横尾 まだ言っちゃいけないと言われているの。
磯﨑 えー。言ってくださいよ。国内?
横尾 海外もある。そのうちわかりますよ。そこまで生きているかどうかわらないけれど。
磯﨑 生きていると思いますよ。
横尾 その絵を描かなきゃいけないために生きているかもわからないね。
磯﨑 東京ですか?六本木?上野?
横尾 そのうちわかるじゃない。
磯﨑 展覧会を見て、アトリエ会議をやりましょうよ。
横尾 公開で? お客さんの前でこんな話は出来ないんじゃないの。
磯﨑 忘れたんですか?何年か前に町田でやりましたよ。
横尾 お客さんにとってはいいと思う。あの3人があほじゃないかという話をしているのはね。座談会なら座談会らしい、まじめな話をすると思って見に来るじゃない。そしたら全然そうじゃなくて、だらけてしまっている。だらけてしまっている姿を見て、本来人間はこれでいいのか、と思ってもらえればそれがいいよ。知性じゃなく、霊性が高くなるとだらけてアホになるんです。我々はそこで本来の姿が出せればいい。観客がいると作ってしまう部分があるじゃない。きのうの公開制作でわかったんだけど、人がたくさんいるからそのために描く。僕の中に残っている自我みたいなものが描かせてくれる。
磯﨑 そうか、じゃあ今日はだらけが足りないですかね。
横尾 だらけ?
保坂 だらけるって仏教語じゃない?(陀羅陀羅、とペンで書く)
磯﨑 本当?そうかな?
保坂 横尾さんは、最初のうちは、こんな話していていいの、とずっと言ってましたよね。風向きが変わりましたよね。悟りに近づいた?
横尾 そう、悟ったのかも知らない。そういう社会性が自分で嫌だなあと思うわけ。社会性が外れた状態でアトリエ会議はできるからいいんだけど。場所を変えてお客さんを集めると、そこがまた社会になってしまう。
保坂 そこで、だらける。
横尾 そこでだらけられたら悟性に近づくよね。
――「だらける」の意味は、かたちがとけてゆるむ、だそうです。
保坂 そんなこと調べてどうするんだよ、せっかく「だらける」の意味を作ったのに(笑)。
横尾 僕は知らないけれど、いまの文学の世界は「だらだら」とは反対なんじゃないですか。
保坂 わかんないな。
磯﨑 反対の人たちは反対です。保坂さんも僕もだらけることが一番真面目だと思っているんですよ。こう見えてもそういう真面目さはあるんです。
保坂 そこを真面目というところに問題はある。
磯﨑 もうちょっとふさわしい言葉に置き換えたいんですけどね。
保坂 結局、あんまり真面目じゃないということが大事です。
横尾 死後レベルの高い階では、その通りです。生きている間に死の練習をすればいいんです。
(構成・中村真理子=朝日新聞文化くらし報道部記者)