足の裏が、コチコチに硬い。裸足で地面を歩き続けているからだ。
タイ・チェンマイの寺院で迎える朝は早い。午前5時前に起床、往復2キロの道のりを、オレンジ色の衣をまとって歩く。托鉢(たくはつ)だ。
1989年に『遠い国からの殺人者』で直木賞受賞、新聞連載小説を5作手がけた人気作家だった。それが、2016年にタイで出家。なぜそんなことに? タイ仏教の習俗の紹介と共に本書で明らかになる。
業の深い人生だったと振り返る。妻子と別居中、別の女性との間に息子が生まれ、離婚するまでひた隠しにした。作家としてもテーマが定まらず、執筆依頼は途絶えがちに。町おこしを掲げる温泉街の頼みで書いた『新・雪国』の映画化に奔走、借金までして失敗した。「その気になればできたはずの努力をせず、といったことがあった」とつづる。
05年、暮らしに困り、タイに移住してみた。シニアのプロゴルファーを目指してもみた。本書に書かれたその顛末(てんまつ)と心情は、胸に迫る。
母方に寺関係者が多く、幼心に言い聞かされた母の教えは、仏のものだった。「出家は、因果のつらなりを見るに、それなりに必然性があった気がします」
いまになって、思う。「過去の私の作品には、仏説が知らず知らず入り込んでいた」
早朝、托鉢して歩く道のりには、僧侶のために、午前3時に起きて料理を用意してくれる女性たちがいる。長寿を願い、祝福する経を唱えてそれをいただく。タイでは出家は「絶対善」。誰も理由を問うたりはしない。それだけに、「布施で生きるようになると、自省の念を常にもたされる。戒律を守っているか、修行を怠っていないか。これからは、わたしの言葉で、仏典をよりわかりやすく解きほぐしていきたい」(文・写真 興野優平)=朝日新聞2020年1月18日掲載