普段、温厚を自任している僕が、外で知らない人とケンカしたことなどそうはない。その一回は二十歳の頃。新宿・ゴールデン街で自分たちの若い時代を徹底的に肯定したあと、返す刀で僕らの世代を否定してくるオジサンが相手だった。
絶対にこんなジジイになるものか──。あの日、心の底から誓ったはずの僕が、最近、うっとりと過去を振り返っていることに気づいてしまった。
何人かで映画について語っていたときだ。「自分たちの若い頃は個性的な劇場が多くて幸せだった」と同世代の人間と話した上で、自宅やせいぜいシネコンでしか映画を観ないという若い子に同情の目を向けていたのだ。まったくの堕落である。
もちろんシネコンを否定するつもりは毛頭ないが、それでも尚、僕はミニシアター全盛の時代に自分が学生時代を送れたことを幸せに思う。
とくに愛したのは、渋谷スペイン坂上にあったシネマライズだ。「トレインスポッティング」「ファーゴ」「ポーラX」「ビッグ・リボウスキ」「ムトゥ 踊るマハラジャ」「ピンポン」「青い春」「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」「ラン・ローラ・ラン」「ベルベット・ゴールドマイン」「ヴァージン・スーサイズ」……。
ああ、素晴らしい。なんと輝かしい時代なのだろう。シネマライズで観た思い出せる作品を列挙しているだけでニヤニヤしてしまう。
そのすべてがいまの自分の血肉になっているのは間違いない。中でも一本を挙げるとしたら、ここにはない作品だ。それが僕のはじめてのシネマライズ体験だった。浪人生となって間もない春に観た、エミール・クストリッツァの「アンダーグラウンド」である。
あらすじをつらつらと書くつもりはないし、そもそもあらすじに意味を持つ作品とも思えない。現に十九歳当時の僕は、何がなんだか最後までよく理解できなかった。一七〇分の上映時間中、何度「長いな」と思ったかわからない。
それなのに上映終了後、完全に心を鷲づかみにされていた。説明のつかないテーマめいたものを若いながらに正面から受け止め、ワケのわからない複雑な感情に胸をぐちゃぐちゃにされながら、大声で何かを叫びたくなったことを昨日のように思い出せる。
あの日、自分が胸に抱いた衝動がなんだったのか。それから何度となく作品を見返し、二十年の以上の時が流れ、言葉を操るべき“小説家”という肩書きをまとってもまだ説明することがままならない。
そしていまの自分が理想とするのは、まさにそういう作品だ。一行で説明のつく何かのために物語など必要ない。そう確信を持って記すことができるのは、あの日「アンダーグラウンド」を観たからだ。
はじめてのシネマライズを出た直後、目に映る世界がほんの少し色を違えていた。
誰かにとってのそういう物語を自分の手で紡げたら。デビュー以来、その願いはずっと持ち続けている。