1. HOME
  2. 書評
  3. 「反穀物の人類史」 「定住」は「農耕」に直結しなかった 朝日新聞書評から

「反穀物の人類史」 「定住」は「農耕」に直結しなかった 朝日新聞書評から

評者: 柄谷行人 / 朝⽇新聞掲載:2020年02月01日
反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー 著者:ジェームズ・C・スコット 出版社:みすず書房 ジャンル:社会学

ISBN: 9784622088653
発売⽇: 2019/12/21
サイズ: 20cm/232,42p

反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー [著]ジェームズ・C・スコット

 通常、人類の定住と穀物栽培の開始が、国家の誕生を促したと考えられている。「国家誕生のディープ・ヒストリー」を論じた本書は、第一に、そのような定説を否定する。たとえば、最初に発見された作物栽培と定住コミュニティの遺跡はおよそ一万二〇〇〇年前のものであったが、メソポタミアのティグリス川とユーフラテス川の流域に見いだされた最古の国家の遺跡は、紀元前三三〇〇年ごろのものだ。つまり、作物栽培が始まってから、国家ができるまでに四〇〇〇年以上もかかっている。なぜか。
 そもそも、人類は定住しても本格的な農耕には向かわなかった。それが重労働であったからだけではない。さまざまな疫病、寄生虫など多くの障害をもたらしたからだ。実際、最初期の国家の大半は、疫病や黒死病のような流行病によって崩壊した。それに、人々が定住しても狩猟採集を続けたのは、そもそもそれが可能な場所を選んで定住したからだ。また、狩猟採集をしているかぎり、人口が増えすぎることはなく、トラブルが生じても、すぐに移動できた。
 要するに、定住そのものは、農業の発展も国家の形成ももたらさなかった。むしろ国家の形成は、「反穀物」、つまり穀物栽培への抵抗によって阻まれた。穀物栽培が大規模化したのは、国家が生まれ灌漑がなされてからだ。ならば、国家こそが「農業革命」をもたらしたというべきである。では、何が国家をもたらしたのか。
 それに関して、私にとって最も興味深かったのは、古代社会で国家を可能にしたのは奴隷化ではないか、という説である。奴隷は氏族社会の段階からあったものの、それは部族間戦争の捕虜であった。そのような奴隷は、モーガンが『古代社会』で注目したように、北米の部族社会にもあったが、それは国家の形成にはつながらなかった。部族社会のたえまない争いは、逆に国家の成立を妨げたのだ。
 スコットは奴隷をより幅広い意味で捉えた。通常、奴隷制というと、古典古代(ギリシアやローマ)の社会が例にとられる。一方、それ以前にメソポタミアに成立した「アジア的専制国家」については、奴隷制の印象が薄い。しかし、そこでは、都市国家間の戦争の結果として、捕虜が生じたが、彼らは奴隷にはならず、臣民として受け入れられたのである。また、征服されたコミュニティ全体が強制的に移動されたりもしたが、彼らも臣民となった。のみならず、古代の国家では、ウェーバーが指摘したように、国家機構の要にある官僚も、宦官(かんがん)や奴隷であった。その意味で、国家は人民の隷従化、すなわち「臣民」の形成によって生じたといってよい。
    ◇
James C.Scott 1936年生まれ。イエール大教授。地主や国家の権力に対する農民の日常的抵抗論を研究。著書に『実践 日々のアナキズム 世界に抗う土着の秩序の作り方』『ゾミア 脱国家の世界史』など。