昨年1月に70歳で亡くなった作家の橋本治さんをしのぶ会が1月末、東京都内で開かれた。多彩な作品を残した橋本さんらしく、華やかな顔ぶれが集まり、朗読あり歌ありのにぎやかな会となった。
発起人の一人、画家の岡田嘉夫さんは「橋本さんのおかげでひどい目にあったよね」と担当編集者を次々に壇上へ呼び上げてスピーチをした。毎日新聞日曜版で橋本さんと組んだ『三日月物語』(1996年刊)は「前の連載が『盆栽の生け方』という家族向けの面で、はあとかふうとか、川上宗薫や宇能鴻一郎も真っ青の内容になった。新聞にきつい注射をしよう、という悪巧みの発端が橋本さんでした」と大笑い。
歌手の加藤登紀子さんはデビュー間もない頃の交流を明かした。「ひとり寝の子守唄」(69年)をレコーディング前に聞いてもらったという。「疲れ果てた妖艶(ようえん)な女の肖像画を描いてくれました。ジャケットに使いたいとお願いしたけれどレコード会社には妖艶すぎると却下された」。その後10年近く橋本さんは「ほろ酔いコンサート」のポスターを描いていた。「もう1回描いてとお願いしたがかなわなかった。長く会えないままでしたが、彼とつながりがあったことは私の誇りです」
作家の高橋源一郎さんは評論『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』(79年刊)を読んでショックを受けた。「日本の少女漫画を現代口語で批評した。こんなに自由にものをいってもいいんだと驚きました。橋本さんの本を読まなければ、僕は作家になっていなかった。40年以上にわたるお礼を伝えたいのにずっと恥ずかしくて言えなかった。僕にとって橋本さんは大兄(たいけい)そのものでした」(中村真理子)=朝日新聞2020年2月12日掲載