ペットロスを癒やす「現代の神話」
——最愛のペットは、亡くなった後も“虹の橋”のたもとでいつかあなたが来る日を待っている——。2000年以降、ペットロスに苦しむ飼い主たちの間でよく聞かれるようになった「虹の橋」という言葉。もとはアメリカで広まった、ある散文詩から取られたものだという。絵本作家・葉祥明さんはその詩の世界をイメージして、『虹の橋 Rainbow Bridge』(佼成出版社)を作り上げた。
“Rainbow Bridge”は、アメリカで広まった「詠み人知らず」の散文詩なんです。人間と暮らしていた動物たちはこの世を去ると“虹の橋”のたもとで、飼い主のあなたがやって来るのを待っている。そしていつの日かあなたと再会して、共に虹の橋を渡るだろう……初めてこの詩を読んだときは、動物を愛するものの一人としてすごく共感しました。
“Just this side of Heaven is a place called Rainbow Bridge. When an animal dies that has been especially close to someone here, that pet goes to Rainbow Bridge. There are meadows and hills for all of our special friends so they can run and play together. ”アメリカで作られた散文詩“Rainbow Bridge”より冒頭を抜粋。作者不詳のまま、インターネット上で世界中に広まった
今うちで飼っている猫は4匹なんだけど、これまでノロ、チロ、ポヨ、メー、マロン、ファー、ぺぺ、ノア、ピョコ……9匹もの愛猫を見送ってきました。僕はね、ムツゴロウさんじゃないけど、人間よりも「動物」の気持ちのほうに近いの。だから、動物たちが苦しい目に遭うことを考えると耐えられない。愛する彼らがこの世を去った後、飢えも痛みも苦しみも感じない、美しい場所に旅立ったんだ……と思えたら、飼い主にとって救いになりますよね。
人間の究極の恐怖は、自分の死と愛するものの死。「死」に対して感じる恐れを紐解いてみると「もう二度と会えない」という感情でしょう? 残された側からすれば「愛する存在がこの世から消える」ということが受け止められなくて辛いわけです。でもこの詩を読めば「いつか自分が亡くなったときに、また会える」という希望が感じられる。「愛は死を越える、永遠のものだ」なんて手垢がついた言い方かもしれないけど、大切な存在を亡くしたときには、信じたいことですよね。その意味でもこの詩は「現代の神話」のようなものだと思います。
希望に満ちた「虹の橋」を渡って
——待ち望んでいた飼い主が現れたときの愛犬の表情と「よろこびのキスの雨」の描写、空にかかった大きな「虹の橋」を渡る1人と1匹。淡いパステルカラーで彩られた空、草原、虹。ページをめくり、それぞれのシーンを見ているだけで心が癒やされる。
虹の橋を渡っていく、なんてホントかなって思うでしょう? でも虹って古来より希望の象徴なんです。旧約聖書の「ノアの方舟」でも、大洪水がひいた後は、神様からの約束として空に大きな虹がかかる。1930年代のハリウッド映画「オズの魔法使い」でも、ジュディ・ガーランドが“Over the Rainbow”……「虹の彼方に」と歌っていましたよね。キリスト教や西欧諸国だけでなく、地球上のさまざまな地域で、昔から「虹」は平和や希望を表してきました。だからこそ、この詩も世界中で受け入れられたんじゃないでしょうか。
絵本で描いている場所は、この世とあの世の中間なんですね。チベット仏教で言うところの「中有」(『チベットの死者の書』における生と死の中間領域)。ヨーロッパ的に言うと「幽界」でしょうか。表現したかったのは、ブルーともグリーンともつかない淡い微かな色合いと、明るいけれど光の眩しさを感じさせない影のない世界。雲母やオパールのようにゆらめく繊細な色彩で、あの世とこの世のあわいを描きました。
飼い主の女性は、おばあさんになってから亡くなるんだろうけれど、虹の橋のたもとに来たらいつの間にか若返っている。そして、一番のお気に入りだった黄色い服をまとって、愛犬と再会するんです。僕はね、いつも絵本を描くときは、映画監督になったような気持ちで制作しているんです。まず初めにロケーションを決めて、天候はこう、光線の具合を考えて、配役はこんな感じで、ストーリーはこうしよう……ポエティックな短編映画を作るように進めています。
最後に絵本を仕上げてくれるのは読者
——平和や環境問題をはじめ、「生と死」も葉さんがずっと考え続けてきたテーマ。絵本を通じて、繰り返しメッセージを伝えてきたという。
1986年に起こったチェルノブイリ原発事故が、地球のことや世界平和、そして「生と死」についても、深く関心を持つきっかけになりました。古今東西の宗教やスピリチュアリズム、臨死体験について綴られた文献や資料を集めて、とにかくたくさん読むようになった。それで「死後の世界はある」って確信したんです。僕の絵描きとしての役割は、絵本を通じて「行ったこともない、見たこともないもの」を分かりやすく読者に伝えることかな。
絵本を描いているとき、僕は人間存在の葉祥明ではなくて、「物語そのもの」になる。絵本の中ではイルカにもなれるし、くじらにもなれる。風にも雨にも、宇宙の声にもなることができる……。人間のイマジネーションの素晴らしさを感じますよね。心がけているのは「すべてを描き尽くさない、説明しすぎない」。余白を作っておくことですね。僕らがこの世界に生きていることの価値や意味、目的ってなんだろう——絵本を読んで感じてほしい。子どもだってね、立派に“哲学”できるんですよ。僕は考えるきっかけを作るだけであり、「最後に絵本を仕上げてくれるのは読者」だと思っています。