六歳の夏、両親に連れられ、郷里の京都から、秋田県の能代まで、夜行列車で旅をしたことがある。停車駅のホームで駅弁とともに売られているお茶は、小さな陶器製の土瓶に入っていた。飲み尽くしても、次の駅で駅弁売りの人に頼めば、また熱い湯を注(つ)ぎたしてもらえた。お湯代は、たしか五円だった。一九六七年のことである。
私は、一二歳から一人旅をするようになったが、駅で売られるお茶は、そのころにはポリエチレンの容器に替わっていた。もう「差し湯」(熱湯の注ぎたし)という便利でムダのない商習慣も消えていた。一九七三年、オイルショックの年だった。
それでも、主要な駅の夜行列車が発着するホームには、おおぜいが同時に使えるように蛇口が並ぶ、広い洗面台はまだ残されていた。もとは、蒸気機関車の煤煙(ばいえん)で汚れた顔を、長旅のあとで洗うための場所だったろう。だが、ディーゼル機関車、電気機関車の時代になっても、旅を経てホームに降り立ち、洗面するのは心地よかった。
長距離列車のホームの洗面台が、一斉に取り払われていくのは、国鉄分割民営化(一九八七年)のころである。新幹線や旅客機のネットワークも発展し、もはや国内の「長旅」自体が消滅していく。駅の洗面台や水飲み場のスペースは、自動販売機の置き場に替わって、そこでペットボトル入りの「水」が売られる時代に移る。
「水」をめぐる“進歩”が、ここに伴ったのは確かだろう。東京都は、水道水の品質の良さをアピールしようと、ペットボトル入りの「東京水」を、東京駅などで売ってもいる。けれど、それなら、いっそ、酷暑の大都市への対処として、街角のあちこちに清潔な水飲み場や洗面台、スプリンクラーなどを新しく復興する道もあるのではないか。そのほうが、老人にも子どもにも、やさしい街になれるのでは?
昨年、余儀ない事情でしばらくウィーンに滞在した。そのおり現地の人が、
「カフェで食事するとき、瓶入りのミネラルウォーターではなく、『水道水を』と頼みなさい。ウィーンの上水道は、アルプス地方の湧き水を引いていて、ヨーロッパの都市には珍しく、安全で、とてもおいしい水なんです。これだと、料金も請求されないから」
と、助言してくれた。
街の誇りとは、本来、そういうものではないだろうか?
いま、私は関東地方の片隅で暮らしている。つい先日、お隣の旦那さんが、庭の古井戸のポンプを懸命に修理していた。コロナ禍で、外に出かけられない五月晴れの昼どきだった。勢いよく溢(あふ)れる水に、わが手で存分に触れたくなる。そういう気持ちは、こんなとき、誰のなかにも続いている。=朝日新聞2020年5月23日掲載
