「ナッジ!?」書評 誘導される気持ち悪さの正体は
ISBN: 9784326550845
発売⽇: 2020/05/28
サイズ: 20cm/256p
ナッジ!? 自由でおせっかいなリバタリアン・パターナリズム [編著]那須耕介、橋本努
ウイルス対策で〝行動変容〟が唱えられるが、手洗い一つでも放任だとなかなか変わらない。でも、強制は、はばかられる。そこで、人間の行動につきもののバイアスに注目し、メッセージの文言の工夫などで「それとなくほのめかす、軽く誘導する」という「ナッジ」の手法が、政策のうえでも議論されている。
基になるのは行動経済学の知見だ。具体例や効き方の解説を読むと、なるほどそんなうまい手があったかと感心しつつ、どこか釈然としないこともある。誘導される気持ち悪さか。
本書は、そうしたわだかまりの正体を、主に法哲学の視点から解きほぐす。
まず、編者の一人は、ナッジには欠点もあり不安や反発を招く可能性を認めたうえで、「その実害を防ぎ、メリットを活かす道を探ること」を提唱する。
ナッジには促す側と促される側の「社会的協働」につながる態度がある。促されても受け入れない余地があるので「試行錯誤の手立てにもなりうる」のが美徳だという。さらに「控えめな呼びかけ」としてのナッジは「ありふれた相互行為の一様式」とも指摘する。
ただ、ナッジの背後には「リバタリアン・パターナリズム」と呼ばれる考え方がある。自己決定を第一と考えるリバタリアンと、結果としての本人の利益を重んじるパターナリズム(父権的温情主義とも訳される)。例えば〝食べ過ぎによる肥満〟への対応では両立しないようにみえるこのふたつの利点を、両立させようという姿勢のことだ。
本書の数章はこの発想への突っ込んだ吟味に割かれている。「結局、自己決定権は生き残るのか」。相互的といっても、どういうときに誰の配慮を優越させるのか。リバタリアニズムとパターナリズムそれぞれの視角からの評も手厳しい。
読んでスッキリとはいかないが、流行にのるのでも、ただ遠ざけるのでもなく、じっくり考えるための問いに富む著作である。
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なす・こうすけ 1967年生まれ。京都大教授(法哲学)▽はしもと・つとむ 1967年生まれ。北海道大教授(経済社会学)。