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山尾三省、長沢哲夫…自然回帰の詩人たち、現代を照らす 揺らぐ日常、価値観見直すヒントに

ここ20年ほど定期的に朗読会を開催し、自作の詩を披露する長沢哲夫さん=2018年

経済的繁栄に疑問「ヒッピー」の思想

 1950年代以降、アメリカでは経済的繁栄に疑問を抱き、「はみ出し者」の道を選ぶ「ビート・ジェネレーション」と呼ばれる運動が興った。象徴的な詩人であるアレン・ギンズバーグやゲーリー・スナイダーらをはじめ、大量生産・大量消費を推し進める社会に対抗し、人間の在り方を捉え直そうとした。

 海外での潮流を受け、やがて日本でも、各地を放浪したり、自然豊かな地で共同生活を営んだりする若者が現れていった。時に「ヒッピー」とも呼ばれ、物理的なものに代わる、内面の豊かさを追求した。

 社会の既存の価値観にとらわれない生き方などをテーマにする雑誌「スペクテイター」は昨年、創刊20周年を機に「ヒッピーの教科書」「日本のヒッピー・ムーヴメント」という特集を続けて刊行した。これまで同誌が追いかけてきた「多様なライフスタイル」の原点の一つとも言える「ヒッピー」の歴史や、その存在が現代に与えた影響に、改めて注目した。青野利光編集長は「地方で有機農業をしたり、電気を使わないで生活したりする若者もいる。『ヒッピー』という言葉が遠くなっても、その思想は地下水脈みたいに流れ続けているのでは」と話す。

万人の胸に宿る詩、土耕すように掘る

 自然にとって人間とは何か――。その問いに対する運動の中心には、詩人たちもいた。中心を担った一人が、山尾三省(1938~2001)だ。東京に生まれた山尾は、40歳を前にして家族と共に屋久島に移住。田畑を耕しながら、詩をつづっていった。

 《土は 静かである/土の静かさは 深い/人間の どんな沈黙よりも/土の沈黙は さらに深い/鍬という/人間の道具をたよりに/その沈黙を掘る》(「土」から)

 《びろう葉帽子の下で/海を見る/しんそこのわたくしのほかに/しんの光と しんの希望の 生まれる場所はない(中略)びろう葉帽子の下で/じっと 青く広い海を見る》(「びろう葉帽子の下で その二十三」から)

 自然の中に置かれた自分という小さな存在を見つめ、深い祈りのような言葉を、彼は生み出した。

 生誕80年を一昨年に迎えたのを機に、野草社が山尾の著作を相次いで復刊。今年2月、代表的な詩集である『びろう葉帽子の下で』の新版も刊行された。

 同書には、山尾のこんな言葉が記されている。「詩をもう一度、万人のものに取り戻したい。それが私の、心からの願いである。万人の胸に開かれた自己としての神が宿っているように、万人の胸に詩が宿っているはずである。それを掘ることを、土を掘ることと同じく、自分の終生の仕事としたい」。かつて山尾が琉球大学で行った集中講義を収録した『アニミズムという希望』も、今年度内をめどに復刊される予定だ。

山尾三省=1994年撮影

島から見える社会、警鐘鳴らし続ける

 半世紀近く鹿児島県の諏訪之瀬島で暮らす詩人の長沢哲夫さん(78)は20年来、春と秋に島外で詩の朗読会を行ってきた。かつて山尾らと共に活動し、60年代後半に「部族」というグループを作り、自然の中で共同生活を営んだ。「若い頃から、この社会はちょっと変な方向に行くんじゃないかという思いがあった。それはどんどん進んでいるように感じる」と長沢さん。いまも詩の言葉で、現代社会への警鐘を鳴らし続ける。

 《ぼくらは地球を愛しているか?/地球がぼくらを愛しているほどに》

 「自然がどういう風に人間を扱うか。僕ら自身も自然の一部であることをよく心して生きないと」と、長沢さんは話す。朗読会は今春、新型コロナウイルスの影響で中止になった。「僕の詩は書こうとしたのではなくおのずと出てきたもの。でも、こうした大変な時代に、改めて読んでくれる人がいてくれれば」

 文化人類学者の今福龍太さんは「単なる『癒やしの自然』を描いたのではなく、山尾たちの詩には、暴走する現代文明に対する警告や批判が込められている」と話す。「コロナ禍で、私たちは合理化された社会が求める単一の『豊かさ』を見直す必要が出てきた。そうしたものの問題を以前から見抜き、言葉で表現してきた彼らの詩は、いま重要な存在だと言える」

いま読みたい詩集

 山尾三省の詩集としては『びろう葉帽子の下で』に加え、『火を焚(た)きなさい』『五月の風』(いずれも野草社)などが入手可能。自然が抱く神性の前にこうべを垂れた、滋味のあふれる言葉の連なりだ。

 長沢哲夫さんの詩集は『足がある』(SPLASH WORDS)他。

 《大地は岩の間に 青い花を咲かせている/ぼくの前には いつも ぼくのうしろ姿がある》(南方新社『魚たちの家』所収「青い花」から)

 長沢さんの詩に流れる波の音は時に静かにたゆたい、時に大きく響く。

 山尾や長沢さんと共に重要なのがナナオサカキ(1923~2008)。世界各地を放浪し、ギンズバーグやスナイダーらと親交を持った。「部族」結成者の一人で、自然保護活動に熱を注いだ。作品は翻訳され海外でも評価される。詩集に『ココペリの足あと』(思潮社)など。

山中を歩くナナオサカキ=2002年、静岡県

 《今度 生まれる ときは/雑巾に/瑠璃色の 雑巾に なろう / 使えば 使うほど/今日の空に 近づく/瑠璃色の 雑巾になろう》(同詩集所収「今度 生まれる ときは」から)

 突き抜けた詩人のまなざしは、厳しい現実にいま直面する私たちに、上を向く端緒を与えてくれる。=朝日新聞2018年7月29日掲載