まっすぐこちらを見ているのに目が合わない。どこも見ていない、死んだような目。しかし、その瞳の奥には叫び出したいほどの感情が詰まっている。
「僕を愛して」、と。
感情を失い、冷たい目をした被虐待児の表情を、医学用語で「凍りついた凝視(Frozen watchfulness)」と呼ぶ。
ささやななえこ(当時・ささやななえ)の『凍りついた瞳(め)』(原作・椎名篤子、集英社)はそんな少年の絵から始まる。1994年から95年に雑誌『YOU』で連載された。事実に基づくノンフィクションの本作は、子どもの虐待が現在のような社会問題になる前に実態を顕在化した。その後、『続・凍りついた瞳』『新・凍りついた瞳』とシリーズ化され、社会的反響を巻き起こした。
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生々しい虐待の事例は読んでいてつらい。ある3歳の男の子は、父親からひどい虐待を受けていることを保健師が把握していながら保護することがかなわず、行方不明になる。またある女の子は、ひどいけがを負って病院に運ばれてきたが、母親に「あの子はもういりません」と言われてしまう……。
「殴られても放置されても多くの子どもたちは親の後を追う きっと抱きしめてくれる やさしくほほえみかけてくれると期待しながら だがその願いが満たされることは少ない」。作品中に出てくる言葉は重い。
あまりの痛ましさに目を背けたくなる。しかし、本を閉じることができない。椎名の医療や福祉の現場への精密な取材に圧倒されるし、なにより作画者のささやの独特なリズムと情感豊かな画力がそれを許さないのだ。ページをめくるたび、涙がこぼれる。
読み進めるうち、この問題が「かわいそうな子ども」と「残酷で鬼のような親」の単純な二構造の話でないことに気づく。その瞬間ヒヤリとなる。これまで私は、子ども虐待のニュースを見ると、加害親に対して怒りでいっぱいになり、厳しく罰してほしいと思うと同時に、虐待する親は自分とは別の生き物のように感じていた。
しかし、本作を読むと、この問題はどんな人にも存在する落とし穴であることを知る。貧困、閉塞(へいそく)した育児環境、孤独……。問題の背景にはらむ問題はいずれもひとごとではない。虐待をする親自身が愛に飢え、瞳の奥で叫んでいるのだ。その姿は残酷な鬼ではない。自分たちと何ら変わらない人間だ。
親の心のケアをしつつ、子どもの命を最優先に守るにはどうしたらよいのか。作品には、医療・福祉関係者はもちろん、近所の人々など、多くの人が連携することで健全な親子関係を取り戻した母子の例も描かれている。読後は様々な立場の視点から、この問題を改めて捉え直すことができるだろう。同シリーズは2003年に終了したが、幼い子どもへの虐待のニュースはいまだに減ることがない。今こそ読まれるべき作品ではないだろうか。
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椎名は昨年、『凍りついた瞳2020』(集英社)を出版している。本書はマンガではないが、様々な考察をふまえ、私たちにできることは何かをまとめている。併せて読んでほしい。
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京都国際マンガミュージアムでは、10月29日から「竹宮惠子監修の原画’(ダッシュ)展示シリーズ『もうひとつの原画』展 東浦美津夫・飛鳥幸子・ささやななえこ・忠津陽子」を開催。「凍りついた瞳」も出展される。=朝日新聞2020年9月29日掲載