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「おとちん」こだまさん新作エッセイ集「いまだ、おしまいの地」インタビュー 後ろ向きの思い出を、書くことで変換したい

文:篠原諄也 写真:山田秀隆

「もっと悩め」の一言が忘れられない

――前作からの「おしまいの地」とは?

 私は山の中の集落で生まれ育ちました。その暮らしを凄く恥じてたんですよね。大学に進学した時も、馬鹿にされると思って、出身地のことは言えませんでした。全然文化的な暮らしをしていない地域で、何も知らない田舎者丸出しの自分に劣等感を持っていたんです。

 その気持ちをずっと克服できずにいたんですけど、そういう生まれ育った辺境の「おしまいの地」の出来事を、書くことで肯定したいと思ったんです。後ろ向きだった思い出を楽しい思い出に変換したかった。

――前作から2年8カ月ですが、振り返るとどういう時期でしたか?

 一番大きなことといえば、前作が講談社エッセイ賞を受賞したことでした。それまではただ書いているだけだと思っていたけど、ちゃんと多くの人に読んでもらえるんだ、と初めて自覚できました。でも同時に、これからも書いていけるだろうかと不安になって。賞をもらってそれで終わったら、周りの人に申し訳ないなと思いました。書くことについて、一度考える機会になりましたね。

――プロローグのタイトルは「もっと悩め」でした。こだまさんは高校生の頃、学級日誌で悩み事を書く欄に「思っていることを何も話せない」と書いたそうですね。後日、担任の先生の所見欄を読むと「もっと悩め」とだけ書いてあったと...。

 それを見た時はがっかりしました。他の人の悩み相談には、けっこうアドバイスを書いてたんですよね。私には「もっと悩め」の一言だけだったので。どういうことだろうって、しばらくその言葉の意味を考えることに悩みました。

 「もっと悩め」ってどんな悩み事に対しても使える言葉じゃん、とツイッターで感想をもらって。その時に初めて、先生は私のために言ったというより、適当に言ったのかもしれないと思いました(笑)。深く考えてくれた言葉だと思っていたけど、実は何気ない投げやりな言葉だったのかもしれない。でもその言葉を20年以上経っても忘れていないのは、ちょっと凄いなと思います。

――今はその言葉についてどう思いますか?

 結局、悩みがちだったので、この言葉通りの大人になってるなと思います。言葉の呪いじゃないですけど。でもずっといろんなことに悩んできたけれど、それも悪くないんじゃないか、と思うようになりました。こういう1冊の本を書けたのもありますし。

――「悩むことも悪くない」と思うようになった転機はありましたか?

 ブログを始めて、出来事を書き出すようになったのが大きかったと思います。全然知らない人の日常を読んで、面白いと思ってくれる人がいるんだ、と気付きました。それから何でも書いてみることにしました。

「書くこと」が救いになる理由

――本書で「情緒不安定でおかしくなっている時期にしか見えないものや書けないものがあるはずだ」と書いていました。どういう時に感じますか?

 自分が鬱の初期症状と知らずに、ひたすらスープを作っていた時期があるんですよね。スープのレシピ本を買って、最初のページから毎日順番に作っていました。最後のページまで全部作ったら、気持ちが晴れているかもしれないと思って。結局、途中で気が逸れてやめちゃったんですけど。

 今冷静に考えると、やっぱり強迫めいていると感じます。でも当時は全然変なことだと思ってなかったんですよ。あの時のようにスープ一直線で、そのことしか見えていない状態というのは、今は書けないですね。

――スープを作っている時は楽しんでいたんでしょうか?

 全然楽しくはなかったですね(笑)。とにかくやることをひとつ決めようと思って。それがスープを作ることだったんですよね。トレーニングみたいな気持ちで作っていました。不調のサインを無理やり封じている感じでした。

――当時は精神的な状態があまりよくなかったのでしょうか?

 鬱の入り口だったと思うんですよね。でも自分は鬱だって自覚はまったくなくって。執筆も全然進みませんでした。連載の締め切りがあるので、絶対書かないといけないんですけど。残り1日まで真っ白だったり、締め切りをすぎてから書いたり...。申し訳ないんですけど、本当に書けないんですよね。

――その一方で、やはり「書くこと」で救われていると感じているそうですね。

 普段人と全然喋らないので。夫は家にいるんですけど。自分が考えてることは、ちょっとツイッターに書くくらいなんです。エッセイの場所をもらえると、今自分が気になっていることを深く書ける。落ち込んだこともかたちになると、題材のひとつなのだと気づく。あの変な出来事も別に悪くなかったんだな、と勝手に肯定したりしています。

 何か嫌なことがあったら、絶対損して終わりたくない、という強い気持ちがあるんです。絶対エッセイに書いてやろうと思っちゃいますね。そう思いながら、耐えたり言い返したりしています。

――ご家族の方についてのエッセイが多いですよね。お祖父さまが「戦争の時にゾウガメの甲羅を被って生き延びた」と語った話、お父さまが農家の集団お見合いツアーの団長に選ばれた話などありました。ご家族の方について書くのは、なぜでしょう?

 単純に友達がいないからです(笑)。子どもの頃を振り返っても、友達関係で書ける題材が本当になくって。学校行事だったら書けるんですけど。だから本当に家族のことしか書けないですね。今もそうなんですけど。

――こだまさんは何か問題のある人について書く時に、突き放すように批判するのではなく、どこか愛があってその人の存在を認めているように感じます。

 人のいい面だけじゃなくて、悪い面も書きたいと思っていて。逆に悪い面を書いたら、その分いい面も探したい。両方フェアでいたいというか、いろんな方面から書きたいなと常に思っています。

「影のある人」の原因を辿りたい

――こだまさんはどういう人に魅力を感じますか?

 影のある人が気になりますね。どうしてこんなにひねくれちゃったんだろう、と知りたくなります。もともと嫌なことをされても、そこまで嫌いにならないというか。その原因を辿ってみたくなるんです。

――本書の登場人物で誰かいましたか?

 お金を取った「メルヘン」については知りたくなりましたね。

(注:本書収録エッセイ「メルヘンを追って」。こだまさんは、面識のない20代の男性「メルヘン」にネット上で頼まれて、合計44万円を振り込んでしまう。共通の知り合いに話を聞くと、彼はいつも嘘をついてお金を借りており、返済しないこともあるという。こだまさんは同じ被害者たちと共に「メルヘン」の実家に突撃訪問する...)

 この人どうしてこんなになっちゃったんだろうなって。お母さんによると、昔からノートで字を間違えたら嫌になって、すぐ新しいのを買っちゃうような子だったそうなんですけど。

 (大人になってからも)ギャンブルでお金遣いが荒い人だったらしくて。私は全然知らなかったんですよね。切羽詰ってるんだなと思って、お金を貸してしまいました。共通の知り合いもいる人だったので、大丈夫だと思いました。まさか大嘘をつくなんて。

 人は簡単にバレる嘘をついたら恥ずかしいし、のうのうと生きていられないだろうなと思っていました。でも別に恥じらわずに嘘をつける人が本当にいるんですよね。そういう人に実際に対面したのは初めてでした。だからお金を取られたショックよりも、この人に興味を持ってしまいました。

――あとがきで「ありえない体験」というより、日常の生活を丁寧に書いていこうとしたとされていました。しかしこういう事件も起きたんですね...。

 そうなんですよね。自分は勘違いが多くて、先走っちゃう性格で、注意力がない...。だから大体こういう事件が起きる。お金もいったん誰かに相談して「貸していいと思う?」と聞けばいいのに、すぐに「いいよ」と振り込んでしまった。その軽さがどうにもならなくって。そこから直していかなきゃ、自分の生活はよくならないなと書きながら思いました。

――今後の執筆活動のご展望を教えてください。

 今、仕上げようと思っているのは小説なんですね。でも2年前からテーマを決めて、打ち合わせもしてるんですけど、全然進みません。途中まで書いてはいるんですけど。エッセイと違って、小説を書くのは難しくて。自分の場所じゃないんじゃないかと思って、書けなくなっちゃうんですよね。

――私小説のようなものですか?

 元になる体験はあるので、私小説寄りだと思います。以前、障害者施設で働いていたことがありました。そこにけんちゃんという、発想がとても豊かな男の子がいました。「障害を描く」と構えたものじゃなくて、その子と私の関係性を描くことで、障害のあり方について書きたいです。