障害者の置かれた苦境に加えて、本書は言葉をめぐる現下の危機的様相についても鋭く問いかける。二つが切り離せぬことは、例えば次のような一節からも明らかだろう。
「わかりやすく言葉にできないこと。簡潔にはまとめられないこと。そうした事柄が尊重されない状況になっている」「どれだけ大切なものを削り落としていようとも、社会は『わかりやすい言葉』を重宝する。SNSの制限字数に収まるもの。時間の尺に収まるもの」
コロナ禍の報道で「隔離」という言葉が飛び交ったことに眉をひそめる。「隔離」にはハンセン病でのそれをはじめ反省すべき深刻な過去があるだけに、「腹に力を入れないと出て来ない言葉のはずです」。なのに軽く扱われる、非常時なのだからと退けられてしまう、だが「ブラック・ライブズ・マター」同様それはマターなのだ、と。「歴史は言葉から摩耗する」とも語ったが、昨今の政治に鑑みても卓見と思う。
文学研究を専攻しつつ、学生時代から障害者と深く接するようになった。文筆家で重度脳性マヒの花田春兆(しゅんちょう)、障害者運動「青い芝の会」の横田弘の2人の故人からは実に多くを学んだという。障害と文学、アートについて論じ、著作で問うてきた。
コロナ禍の大きな問題の一つに、「立ち話を奪った」ことを挙げる。「その人の日常の感覚や、生きている世界が端々にうかがえるのは、目的のはっきりした会話より、ちょっとした立ち話なんですよね。人間は目的だけで出来てはいない」
自分の務めは「落ち穂拾い」と任じている。「障害者運動をしている人たちは忙し過ぎ、記録したり発信したりできない。でも誰かがそれをやらなければ」。日本近現代文学と並ぶ専門が自ら名づけた「障害者文化論」で、その学問的確立を希求している。(文・写真 福田宏樹)=朝日新聞2020年10月3日掲載