美意識はバラ、内と外の境界なく
三島由紀夫は、揺るぎない審美眼で後世の芸術に影響を与えた批評家でもあった。時代を超える彼のセンスとは、どのようなものだったのか。それを知るための格好の手引が、今夏に刊行されたアンソロジー『幻想小説とは何か 三島由紀夫怪異小品集』(平凡社ライブラリー)だ。小説や戯曲、評論など幅広い文章から三島の美意識に迫る。
「三島由紀夫には、幻想文学的なものへの嗜好(しこう)が10代の頃からあった」と話すのは、本書を編んだアンソロジストの東雅夫さん。たとえば、学習院高等科時代に書いた「本のことなど――主に中等科の学生へ」では、怪奇幻想文学の翻訳者として後年再評価される平井呈一や松村みね子を称揚した。
その傾きは、晩年まで一貫していた。死の直前まで連載した未完の評論エッセー「小説とは何か」で、〈言語芸術においてこそ、われわれは、夢と現実、幻想と事実との、言語による完全な等質性に直面しうる〉と書く。つづく文章で使った幻想小説という呼称が、「戦後日本における幻想文学の出発点になった」と東さんは言う。
それを最も表す逸話が、明治の文豪、泉鏡花の再発見だ。
それまで古くさい日本的情緒を描く作家とみられていた鏡花を、作家の澁澤龍彦とともに、新しい超現実の探求者として打ち出した。全集『日本の文学4 尾崎紅葉・泉鏡花』(1969年)の解説に残る〈私は今こそ鏡花再評価の機運が起るべき時代だと信じている〉との言葉が、まさにその嚆矢(こうし)となった。
だが一方で、同書の月報に載った澁澤との対談で、三島は鏡花作品を〈言葉が空中楼閣を作っている〉とあがめながら、〈僕は絶対に形じゃないと嫌なんだ。筋肉だって形だろう〉と、肉体美にこだわった彼独特の美学を表明している。それはいったい、何なのか。
「三島の美意識はバラの花だと思っている」。そう話すのは、かつて『三島由紀夫の美学講座』(ちくま文庫)を編んだ美学者の谷川渥(あつし)さんだ。それは、代表作『金閣寺』のこんな一節に表れているという。
大阪の工場を訪れた〈私〉が、空襲で腸の露出した工員を見る場面。
〈何故人間の内臓が醜いのだろう。……それはつやつやした若々しい皮膚の美しさと、全く同質のものではないか〉〈内側と外側、たとえば人間を薔薇(ばら)の花のように内も外もないものとして眺めること〉
バラの花弁は折り重なって、内と外があやふやになっている。「つまり、内面と外面があるということの否定なんです。すべては外面である、というのが彼の思想なので」と谷川さんは言う。
こうした美意識の背景に、谷川さんはニーチェの哲学があるとみる。「人間の真実が内面にあるとか、表側はうそだけど裏側に真実があるとか、そういう考え方をニーチェは『背後世界論』といって否定した」
三島は30歳から肉体を鍛え始め、自決する45歳までひたすら表面を築きあげようとした。「最後に選んだ割腹というのは、内臓をさらけ出すこと。内と外の二元論を、血を出すことによって破ろうとした」。自らの美意識に殉じたかのように。(山崎聡)=朝日新聞2020年11月25日掲載