「セクシュアル・マイノリティは、存在しない」。こんな挑戦的な書き出しで、社会批評でも個人の話でもある風変わりな本は始まる。多様性の否定ではない。むしろ「全ての人はセクシュアル・マイノリティである」と言おうとしている。
ジェンダーやセクシュアリティーをめぐる言論は、ここ数年で劇的に変化した。男女平等や多様性への理解が進んだのも事実だ。だが、一人ひとりが自分の性をよく理解しているかというと心もとない。そもそも「生まれた性にくつろげる人」など存在するのだろうか。
多数派で「ふつう」と見なされがちなヘテロ(異性愛者)のシスジェンダー(身体的性別と性同一性が一致する人)こそ「実は難しい」と考える。「感じる器」の違うヘテロの男女のわかり合いがたさも過小評価されがちで、両者を分断する言論ばかりがあふれている。ならば作家としてできるのは、自らをさらけ出して、人類と性について徒手空拳に考えてみることだ。
自身の性自認については「表に出すと不安定になってしまうテーマ。でも話す宿命なんだと思った」。10年以上単行本化をためらっている小説の主題でもある。執筆中は友人でトランスジェンダーの女性と対話を重ね、書き通すことができた。この本にも登場する彼女が打ち明ける話はあまりにも切実で個別的で、「手術でなりたかった性になる」という既存の物語とは似ても似つかない。
「性同一性障害」「LGBT」「セクハラ」といった言葉を疑ってみたのは、それらの用語が見落とす領域があるから。性は「一番はじめにくっついてきてしまうもの」なのに、自分の欲望は「ピンセットでつまむようにして見ないと分からない」。本を閉じたとき、読者は自分を知る手がかりを受け取っている。(文・板垣麻衣子 写真・外山俊樹)=朝日新聞2020年11月28日掲載