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沖縄発のラッパーRude-αさんインタビュー つらいときは自分のことを俯瞰してみる

文:かわむらあみり 写真:斉藤順子

人気マンガ原作ドラマの主題歌をつくる

――まず現在発売中のシングル「マリーミー」が話題となっていますが、Rude-αさん初のウエディングソングになっていますね。

 この曲は、連続ドラマ「マリーミー!」(テレビ朝日系、2020年10月期)の主題歌のお話をいただいてから、原作のマンガやドラマの台本を読ませていただいて、作りました。

――原作は「100万人が選ぶ 本当に面白いWEBコミックはこれだ! 2018」の女性向け作品ランキングで1位を獲得した、夕希実久さんによる同名のLINEマンガですね。原作を読んだときの第一印象はいかがでしたか。

 普段からこういったWEBコミックや紙のコミックもいろいろと読むのですが、設定が架空の「ニート保護法」という法律ができたことから物語が始まるので、いままでにない新しい感じがしました。作者の夕希先生がマンガの本編とは別に、間のページでWEBコミックを作るようになった経緯を書いていたんですよ。軽い感じで始まって、今はこんなになってという裏話もあって、面白いですね。

――楽曲の「マリーミー」はしっとりと聴かせるラブバラードで歌詞もロマンチックなのですが、原作からインスパイアされたのでしょうか。

 原作を読むとストレートに人の揺れ動く感情を描いているように感じたので、曲作りにおいてもストレートなラブソングのほうが人に伝わると思いましたし、原作の世界観を崩さない曲になるんじゃないかなと。LINEマンガやドラマのバックで曲が鳴っていても違和感なく、ちゃんとBGMとしても成り立つものにしました。自分自身でもストレートなラブバラードは初めてだったので、また新しい一面を見せることができたと思います。

――2020年1月10日には、ニューシングル「Paradise」もリリースされますが、前日の9日から始まるTVアニメ「SK∞ エスケーエイト」(テレビ朝日系 毎週土曜深夜2時)のオープニングテーマでもあります。どのように生まれた楽曲ですか。 

 オープニングテーマのお話をいただいて、書き下ろした曲です。何曲かデモを提案させていただいたんですが、いちばん疾走感のあるこの曲が選ばれました。アニメは僕の地元の沖縄を舞台にした物語で、スケボーバトルをするオリジナルアニメなんです。

 でも、歌詞に「スケボー」というワードを入れたら、すぐ「スケボーのことなんだね」とイメージが固定されてしまうから、そういうワードは入れず。スケボーに限らず、何かに向かって走っている人、何かと闘っている人にもリンクできるような内容にしようとイメージして作りました。

>Rude-a Oficial YouTube チャンネル

――「マリーミー」とは打って変わって、「Paradise」はギターが前面に出てくるようなアグレッシブなナンバーで、歌詞も男っぽい印象を受けました。

 肩書きがラッパーなのに、こうやって歌も歌うから、「お前ラッパーじゃねえし。歌なんか歌って」と言う人もいるんです。でも、逆にそいつらにずっとムカついていてほしいから、ずっとラッパーって名乗ろうと思っているんですよね(笑)。

 ラッパーなのに、ラップではなく、歌もリリースするというのは、あまり他にはなかったことじゃないかと。「マリーミー」のようなやさしい歌から、「Paradise」のように疾走感あるものまで、音楽の振り幅を見せている感覚です。

書いてみてわかった「自分ってこんな人」

――WEBマンガや紙のコミックを読むというお話もされていましたが、最近読んだ本やお気に入りの本はありますか?

 最近気に入っている本は、3つあるんですよ。ひとつは『クックパッドのおいしい ベストレシピ』。自分で料理をするのでよく見ています。保温できる弁当箱を買って、自分で弁当を作って、家の近くの公園で食べたりしていて。それと、樹木希林さんの『樹木希林120の遺言 死ぬときぐらい好きにさせてよ』という、エッセイがあるんですよ。これは若い子も大人も、読んだら心がスッと軽くなるんじゃないかなと思う名言集でした。

 あとは、『ジャストミート』(原秀則)という、30年ぐらい前の野球マンガがあるんですが、よく読んでいます。マイナーな野球マンガなので「わかる?」と人に聞いて、わかる人に会ったことがないんですが(笑)、子どもの頃に読んでいたことを最近思い出して、懐かしいなと思って購入しました。

――子どもの頃といえば、Rude-αさんの幼少期から現在までのことを綴った初の自伝的エッセイ『何者でもない僕たちに光を』は、SNSで発信されている言葉や考え方、音楽に対する姿勢が多くの若者たちの支持を集めていたことから、出版オファーへと繋がったそうですね。

 出版のお話をいただいたときは、まだ23年間しか生きていないのに、もう自伝を出すのは大丈夫なのかなと思いました。でも、過去にあったことや大切な人や物を振り返りながら書く作業をすることで「自分ってこんな人だったんだ」と気づくことがあったり、思い出したりするきっかけにもなって。全部書き終わった後に読んでみたら、「まわりにこんな人がいたら友達にしたくないな、変な人だな」って思いました(笑)。普段から、自分のことを他人のように見ているので。

――沖縄県のコザ(沖縄市)で生まれたRude-αさんですが、筆者も何度も取材でコザに行ったことがあり、沖縄文化とアメリカ文化が融合された街の雰囲気や、音楽においてもジャンルレスな印象があります。

 小さい頃から、ヒップホップやブラックミュージック、琉球民謡のようなものが交互に聴こえてくる街だったので、自然とさまざまなカルチャーに馴染んでいきましたね。ファッションにしても、流行りでダボダボの服を着てキャップをかぶってヒップホップ風にする感じではなく、すでに4歳ぐらいから腰パンしていたので(笑)。自然と影響を受けてきたと思います。

 道を歩いていても、外国人同士でケンカしている場面に遭遇することもあれば、おじいちゃんやおばあちゃんと友達みたいに話をしますし。子どもの頃は気づけなかったですが、東京から沖縄に戻ると、自分が生きていくうえでの答えがいっぱいある街だなと、今は思いますね。

普段から「他人と比べることはしない」

――著書では、「小学生の頃に夢の種を植えてくれたのはORANGE RANGEだった」とありますが、同じコザ出身のORANGE RANGEさんのライブを観て、「こんなふうにステージに立ちたい」と思ったそうですね。

 沖縄市民会館というところでライブを観たんですが、そのときはまさか本当に将来、音楽をやることになるとは思っていなくて。母親が車の中でよくかけていたORANGE RANGEの曲で初めて音楽というものを認識して、当時は「こういう人になりたいな」と漠然と思っただけでしたが、結果的に導かれたのかも。

――高校1年の時には、マイケル・ジャクソンのダンスに影響を受けて、ダンススクールにも通われたのですよね。将来はダンスで食べていくぞ、有名になるぞということではなく、何かを始める動機が「楽しいことをやりたい」だけでいい、と書かれていて。そんな良い意味での肩に力の入らない感じが、10代や20代の方に共感されているのではと思いました。

 『グラップラー刃牙』(板垣恵介)を読んでいたら、「努力する者が楽しむ者に勝てるわけない」という言葉が出てきて、間違いないなと思ったんです。真面目に過ごしすぎていると、「忙しい」とか「毎日仕事がつらい」とかはあるかもしれないですが、自分のことは他人のように俯瞰して見たらいいと思うんですよ。僕は普段そうしています。誰かに何かを言われてつらかったら、自分の人生なので嫌なことをやめてもいい、自分で自分の人生を選択できるわけで。

 昔だったら、「戦争に行って来い」と言われて、自分で選択する余地のなかった人もいたわけです。僕らはそういう時代の人たちに比べたら、限りなく自由に生きているので、俯瞰して自分を見る。真面目でいてもいいけど、少し遊び感覚も持ち合わせる。頑張りすぎる人は、心の中だけでも、ふざけていていいんじゃないかなと思うんです。

 たとえば、仕事や何かをやりぬくために我慢することや苦しいこともあると思うんです。僕は、「あいつはあれだけやっているんだから、頑張れよ!」という考え方は好きじゃなくて。組織に所属していたらそれでもいいかもしれないんですが。だって、人それぞれじゃないですか。やれる容量もそれぞれですし、努力というものさしも人それぞれですから。普段から他人と自分を比べることはしません。

――18歳の時、ライブに来ていた今のマネージャーさんから声をかけられたのがデビューのきっかけと著書に書かれていましたが、沖縄の大学を辞めて音楽の道にかけて上京するのは、葛藤があったのでは。

 大学には1年通っていましたね。高校を卒業するタイミングでなりたい職業もなくて、ラップをやってはいましたが、好きだからやっていただけで、思いつきで大学を受験したら受かりました。初日から、「大学ではまた勉強しなきゃいけなかった」と気づいて、嫌だなって(笑)。いまだに自分が何学部の何学科だったかも覚えていないんですよ(笑)。

 ライブで偶然、見かけて声をかけてもらっても、最初はそこまで音楽で食べていくことに本気じゃなかったんです。でも、親には大学のお金を出してもらっていて、大学をやめたいと言いづらかったから、「音楽で飯食っていくから東京に行きたい」と言ったんですよ。親は自分の性格をわかっているから、「だったら、行ってきなさい!」と送り出してくれて。

 東京に出てからはつらかったですね。親元も離れますし、いつの間にか仕事では大人に大勢囲まれて(笑)。最初は「2、3年したら沖縄に帰って暮らそう」と思っていたら、テレビに出させていただいたり、取材を受けさせていただいたり、だんだんと足をつかまれて……今に至ります(笑)。

SNSによる承認欲求に惑わされたくない

――偶然の出会いといえば、ストリートダンスを始めた翌年には「高校生RAP選手権」で準優勝されていますが、そもそもラッパーのKDTさんに公園でフリースタイルを仕掛けられたからラップをすることになって。出会ったときは、まさかそれが将来の運命を左右する出会いになるとは思っていなかったですよね。

 思っていないです! わーっとこられて、「誰だお前!」という感じでラップしてみたら、「お前、明日からラッパーな」と言われて、本当に一緒につるみはじめて、早7年経ちます(笑)。そう考えるとすごいですよね、あのときのフリースタイルがなければ、ここにいないのかと思うと。

――Rude-αさんのSNSでの発言力は高いものですが、著書には「SNSのフォローは外した」「アンチコメントを入れている時間は無駄」「スマホはあまりさわらない」「SNSは自分の投稿しか見ない」「LINEするより電話」というエピソードがあり、意外でした。

 たとえば、街で出会った女の子を「いいなあ」と思ったとして、お互いのインスタグラムを交換してしまえば、SNSを覗くとその人の姿が見えてしまうじゃないですか。「こんな生活をしているんだな」と。もし「マジでうざかった」と批判をつぶやいていたら、裏表が見えてしまう。SNSは人間性がわかってしまうから、果たしてそれはどうなんだろうと思っています。

 携帯がなかった時代は、相手に自分のことをわかってほしいから、会っているときに目を見てちゃんと話していくわけじゃないですか。そういうのって、いいなあって。SNSはいわば日記みたいなもので、良いことを発信している人、暮らしで役立つことを発信している人はいいなあと思うのですが、感情を書きなぐるツールになっていることも。だから、SNSで相手の人となりがわかった状態で接するよりは、わからない状態で会話するなかから、人間関係を育てていきたいと思うタイプです。

 SNSで「フォローされた」「外された」とか、どうやってわかるんだろうって(笑)。ずっと見ているのかな。承認欲求みたいなものが強い人が多いのは、いい点でも悪い点でもあると思いますが、自分のなかでは、承認欲求などに惑わされたくない。僕は、本当に大事なことや人に共有したいことだけ書いて、良いマインドになってほしくて、SNSをやります。

――Rude-αさんは武道館でのライブを目標とされていますが、今後はどのような展開を考えていますか。

 今後の活動としては、コロナ禍でライブができないようなマイナスなイメージの中、それをぶっ壊すような展開ができるんじゃないかなと思います。いろいろな出来事をちゃんと良いバイブスに変えて活動していきたい。あまり真面目にもならず、かといって不真面目にやるわけでもなく、遊びながら、良いバイブスを届けられればと思っています。