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映画「すばらしき世界」仲野太賀さんインタビュー 息苦しい時代、タイトルに込められた意味は

文:根津香菜子、写真:北原千恵美

三上へのさまざまなまなざし

――映画の原案になっている『身分帳』を読まれた感想はいかがでしたか。

 僕は最初に脚本を読んだ時、すごく現代的だなと思いましたし、今の時代において意味のある、描くべき題材だと思いました。その後『身分帳』も読ませてもらったんですけど、佐木さんがこの作品を書かれたのは今より30年も前ですが、不思議と現代の人にもささる話だなと思いました。

 どちらかと言えば、映画の脚本の方が社会性みたいなものをより膨らませて、際立たせて描いている気がしますが、『身分帳』は三上のモデルである山川の人物描写が多くて、元ヤクザで十数年刑務所にいて天涯孤独、と肩書きだけ聞くとすごく近寄りがたい人なのですが、とてもチャーミングで人間味に溢れているところもあって、魅力的なキャラクターだなと思いながら読みました。

――津乃田は『身分帳』では映画ほど主だったキャラクターではありませんでしたが、西川さんが本作で津乃田を引っ張りあげてきたのはなぜだと思われますか?

 津乃田は原作では途中でいなくなってしまうんですけど、彼は外側から来る人間の象徴として描かれていたと思います。佐木さんが『身分帳』の主人公・山川のモデルである田村さんと一緒に過ごしていく中で「この人の人生を描こう」と思い作品を描いていますが、佐木さんの山川に対するまなざしというのは『身分帳』の中にずっと描かれている気がするし、彼を描く上での客観性みたいなものはとても重要で、それが映画における津乃田であり、佐木さんの視点でもあり、なおかつ三上という人を描こうとした西川さんの視点でもあると思います。津乃田という男は三上という人を描く上で大切なポジションだと思っていましたし、この時代における三上という人の存在を浮き彫りにするには、とても重要な橋渡しの存在になっていると思いました。

©佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会

人間は複雑で多面的で、重層的

――映画では三上と津乃田の関係性にも重きを置いて描かれていましたが、三上を演じられた役所広司さんとの共演はいかがでしたか。

 役所広司さんとご一緒できるということ自体、俳優として最大の目標の一つであったし、いつかは必ずたどり着きたかった場所でした。本作で役所さんとご一緒して感じたことは、役所さんが三上という人を演じることによって、人間がいかに複雑で多面的で、重層的であるかということを教えてもらったような気がします。

 三上はとても凶暴なところもあるけど、人としての優しさもちゃんと持っていて、彼は彼の正義で生きているからこの社会には馴染みづらい。馴染もうと努力はするけど、なかなか受け入れられない。そんな矛盾が三上自身にすごくあるんです。でもそれはとても魅力的で人間味に溢れていましたし、そんな三上を役所さんが演じられることで、より人間の複雑さや奥深いということを芝居から感じることができました。

©佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会

 三上は心優しいおじさんに見える時もあれば、その中に寂しさがあって、一面的ではない人間の奥行きみたいなものを役所さんは体現されていると言いますか。きっと三上に限らず、役所さんは人間というものを多面的にとらえて演じられているんだろうなと感じました。例えば、絵画のように人の肌の色を表現するのは肌色一色ではなく、その下に何層も色を重ねていくようなものが三上の中にもあって、今目の前にいる「三上」という人は、その奥行きさえも感じさせる芝居というのを目の当たりにしましたね。

――現場では「三上」という存在を染み込ませたくて、ずっと役所さんを観察されていたそうですね。その結果、どんな発見がありましたか?

 発見かどうかは分からないですが、役所さん演じる三上を自分の目に焼き付けたいという思いがずっとありました。津乃田が三上のことを、カメラを通してでもカメラなしでも常に意識して見ているから、一瞬も見逃したくなかったんです。多分役者さんによっては、休みの日に現場に行こうが行かまいが「関係ない」という人もいると思うんですけど、僕はそういった時間も含めて、できる限り三上に寄り添っていく覚悟になったというか。その選択を経て何を得たのかは僕も分からないですが、その意志が役に反映されていたらいいなと思います。

――お風呂場で三上の背中を流すときの津乃田の表情がとても印象に残っています。三上に対する津乃田の想いがあふれていて、こちらにもそれが伝わって涙が出ました。

 このシーンでは、父と子のような関係性を表現したいと思っていたんです。そしたら西川さんも「ここは子が父を見るような眼差しで」とおっしゃっていたので、自分の中で「きっとここはこういうことなんだろうな」ということが確信に変わりました。津乃田は元々自分から三上に近づいたわけではなく、上司に言われたから仕方なく三上のところに取材に行くんです。そこから徐々に三上に触れていくわけですが、三上と津乃田の距離感はすごく大切にしました。

 最初は取材対象者であった三上との関係が深くなるにつれて、友人のようになったり、ある時は突き放してみたりとか。三上がいろいろな面を持っているからそれに振り回されるときもあって、物語の途中から津乃田はカメラを持つことをやめるんですね。それはある種、津乃田が三上に対して「人として向き合う」ことの証明だと思うんです。その覚悟を決めたからこそ、お風呂場でのシーンでは津乃田はカメラも持たず服も脱ぎ捨て、慈しみあったり、優しさを持ち合ったりするようなシーンにしたいと思って演じていました 。

人生を潰す力、更生させる力

――先ほど、「三上と人として向き合う覚悟ができた」とおっしゃっていましたが、一度は逃げ出した津乃田が、もう一度三上に向き合ってみようと思われたのはなぜだと思われますか。

 多分「三上さんには自分しかいない」と津乃田が思ったからだと思いますね。もっと言うと、三上という人と出会ってしまったからだと思います。それまで共に過ごした時間の中で、三上の本質というのが少しずつ分かって、触れていって、一度関わりを持ってしまうと、それを無かったことにはできなかった気がするんです。

 理由はどうあれ、出会ってしまった以上「僕がこの人の人生を証明する。天涯孤独の名もない人に対して、この世界にこんな人が生きていたんだよ」ということの証明を自分がするという決意と言うか。そういうつもりで後半は三上と向き合っていたし、きっと佐木さんも、田村さんと出会った時にそういう思いで文章を書かれたと思います。そして西川さんは、佐木さんの『身分帳』と出会ってこの映画を作り三上さんを描いたし、僕自身も津乃田である以上に、三上という人と出会い彼の人生を証明したいという思いがありました。

――三上同様、今の社会に生きづらさを感じている人は少なくないのだろうと思うのですが、仲野さんご自身は何か思うことはありますか?

 一度道を外れてしまってからの社会の不寛容さというのは、僕自身もすごく感じます。誰しも過ちを起こす可能性はあるし 、その危険はいつだって人生に絡んでくるのに、外れてしまった人を徹底的に潰して、鬼の首を取ったかのようにとどめを刺しにくる社会がテレビやインターネットを見ると目の前に広がっていて。それって、少なくとも緩やかに自分たちの首を絞めていることと同じじゃないですか。

 本来なら、そうやって誰かの人生を潰すような力があるのならそれを更生させるような力があったっていいのに、そういう矛盾みたいなものがこの時代の空気としてすごくあるような気がしています。息苦しさというのはもはや普遍的になってしまっていると言いますか。だれもが抱える閉塞感なんだと思うんですよね。この映画を観る人もそういう気持ちになるんじゃないかな。それを三上に感じることもあれば、津乃田に感じることもあると思います。だからこそ「すばらしき世界」というタイトルをつけたこの映画はきっと意味があるだろうし、この映画がだれかに手を差し伸べるような作品であってほしいと思っています。

©佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会

ほかの誰かにどう寄り添えるか

――ところで仲野さんはカメラが趣味とのことですが、読書はいかがですか?

 読書の虫というほどでもないですけど、本を読むこと自体は好きです。今まで一番深く感動したのは、西加奈子さんの『サラバ!』です。きっかけは、知人から「これ、なんか太賀みたいだよ」って言われて読んでみたら、本当にそうで。まぁ、実際は全然違うんですけどね。それに「これって自分のことのよう」って思った読者はきっと100万人ぐらいいると思うんですけど(笑)。でも、その時の自分にとってあの本が救いだったというか、欲しかった言葉をもらえたような気がしたんです。自分が抱えている形容できない、言葉にできない気持ちってこれだったのかもしれない。そう思わせてくれる読書体験でした。

――最近読んでおすすめの本があれば教えてください。

 ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、日本に住んでいるだけでは感じることのできない多様性な価値観を感じました。多分ブレイディさん自身も、その時その時立ち止まりながら「これって一体どういうことなんだろう」というのを、息子さんとの対話を通して学んでいると思うんです。

 その視点というのが本を読んでいる僕たちの視点でもあって、それがとてもあたたかくて平等なんですよ。自分たちが気づかないだけで、何気ないことに心を痛めている人や悲しんでいる人、窮屈な思いをしている人がいかにいるかということを、この本を読んで再確認させられました。そして、自分たちの当たり前が当たり前ではないし、自分ではないだれかにどう寄り添えるかが大事なのだなということも感じました。

 それは本に限らず、映画においてもとても大事なことだと思っています。自分と同じ人と握手することは簡単だけど、自分と違う人と握手する事の方が僕は今の時代に重要な気がしていて「僕は君と違うけど、僕は君の事が好きだよ」ということが、今の創作するものにおいてとっても重要なことだと思うんですよ。そのことをこの本にはすごく感じています。