平田オリザが読む
フランスで読まれている日本文学と言えば、やはり筆頭は三島由紀夫だが、二番手には谷崎潤一郎をあげる人が多い。もちろん日本でも谷崎は「文豪」という扱いだが、相対的に見ると海外での評価の方が高いように感じる。演劇の世界でも、十数年前にイギリス人演出家によって『春琴抄』が舞台化され、世界的なヒットになるなど、今も注目が続いている。
これまで見てきたように、大正文学の大きな流れは二つである。志賀直哉、有島武郎らに代表される「白樺派」の人道主義。もう一つが芥川龍之介を源流に、川端康成、谷崎らへと続く「芸術至上主義」、「耽美(たんび)主義」、「新感覚派」など。
『細雪』の執筆は一九四二年から四八年とされる。戦中、戦後をまたいで、この作品は書かれた。舞台は一九三六年から四一年の大阪と芦屋。すなわち、二・二六事件の年から太平洋戦争開戦前夜までの阪神間の風景、世相が描かれている。
しかしこの作品では、迫り来る戦禍は遥(はる)か遠方に追いやられ、そこに暮らす上流階級の四姉妹の生活が、執拗(しつよう)なまでに丹念に綴(つづ)られる。
三女・雪子のいくつかのお見合い話を縦軸に、四女・妙子の奔放な恋愛を横軸に、物語は淡々と進んでいく。船場言葉と呼ばれる古き良き大阪弁の会話が、取り立てて筋書きのない長編に彩りと軽快なリズム感を添えている。
上流階級と書いたが、主人公である蒔岡家は、大阪経済の中心地であった船場の店をすでに失っており、財産の目減りも始まっている。それは、大正末から昭和初期にかけて「大大阪」と呼ばれ、東京をしのぐ活況を呈したこの街の、ゆっくりとした衰退の姿と相似形をなす。
谷崎は、従軍作家になるほどの軽薄さはなかったが、特に戦争に反対するでもなく、発禁処分を受けながらも、ただ黙々とこの長編小説を書き続けた。その態度に賛否はあるだろうが、耽美派の真骨頂とは言えるだろう。=朝日新聞2021年2月20日掲載