1. HOME
  2. コラム
  3. 朝宮運河のホラーワールド渉猟
  4. 虚実が溶け合う物語に興奮、驚愕、ぞくり 山田風太郎の傑作「八犬伝」など4作

虚実が溶け合う物語に興奮、驚愕、ぞくり 山田風太郎の傑作「八犬伝」など4作

文:朝宮運河

 山田風太郎の『八犬伝』が、「山田風太郎傑作選 江戸篇」(河出文庫)の一巻として装いも新たによみがえった。日本伝奇小説の祖・滝沢馬琴の苦しくも満ち足りた人生を、代表作である『南総里見八犬伝』の世界とクロスさせて描いた著者晩年の長編である。
 『椿説弓張月』などの読本で人気の戯作者・滝沢馬琴は、友人の絵師・葛飾北斎を前に、構想中のストーリーを語り始めた。きらめく珠をもって生まれた八犬士たちが、安房里見家再興のために協力し、波瀾万丈の冒険をくり広げるという壮大にして奇怪な物語だ。聞いていた北斎は不思議に思う。偏屈で怒りっぽく、およそ情緒の分からない馬琴という男のどこから、これほど面白い物語が湧いてくるのだろうか、と。
 作者は俗事にまみれた馬琴の生活(「実の世界」)と、日本幻想文学史に燦然と輝く『南総里見八犬伝』のダイジェスト(「虚の世界」)を交互に書くことで、その謎に迫ってみせている。「実の世界」のパートには山東京伝、鶴屋南北などの同時代人も多数登場。江戸後期の活気ある空気を伝えているが、馬琴自身の生活は華やかさとはまるで無縁だ。家族の将来に心を悩ませ、ご近所トラブルに精神をすり減らす。しかし苦難続きの暮らしのなかで、物語世界はいよいよ壮絶さ、妖美さを増していく。
 馬琴にとって物語は救いだったのか、呪いだったのか。『南総里見八犬伝』創作の舞台裏に迫るとともに、人間存在の不可解さをあますところなく描いた異色の時代小説。「虚の世界」と「実の世界」が一瞬ひとつに溶け合うラストシーンは、何度読んでも目頭が熱くなる。

 虚と実が溶け合うといえば、次のノンフィクション2冊もそう。『フォルモサ 台湾と日本の地理歴史』(原田範行訳、平凡社ライブラリー)は、自称フォルモサ(台湾)人のジョージ・サルマナザールが18世紀初頭にイギリスで著した、台湾および日本の詳細な案内書だ。もっともサルマナザールが台湾人というのは真っ赤な嘘。正体不明のペテン師だった彼は、行ったこともない東アジアについてもっともらしい説明を並べ立て、世間を煙に巻いたのだ。
 サルマナザールの紹介している台湾は、現代の目から見るとまるで空想の世界だ。一夫多妻制が認められ、ゾウやラクダが車を引き、毎年多くの子どもが生け贄に捧げられる。こんな島は地球上のどこを探しても実在しない。ただその嘘があまりにも精密で首尾一貫しているため、ページを捲るうち「サルマナザールは本当にフォルモサから来たのでは?」と疑念が湧いてくる。当時のヨーロッパを席捲したというのもうなずける世紀の偽書。

 福岡県に実在する日本有数の心霊スポット・旧犬鳴トンネル。その周辺には立ち入ることが許されない禁忌の村があるという。吉田悠軌ほか『実話怪談 犬鳴村』(竹書房文庫)は、清水崇監督のホラー映画で一躍有名になったこのミステリースポットに、ルポルタージュと実話怪談で迫った一冊だ。
 後半に置かれた恐怖体験談の数々もさることながら、前半を占める吉田悠軌のルポ「犬鳴村伝説とはなにか」がなんとも興味深い。古くから心霊スポットとして知られていた旧犬鳴トンネルが、不幸な事件の発生、インターネット巨大掲示板の流行、マスコミの取材などによって新たな噂を呼び込み、リアルの世界にまで影響を及ぼしていく。怪談がまるで生き物のように成長してゆくプロセスが、丹念に跡づけられており圧巻だ。虚と実のグレーゾーンでは、今日も新たな怪談が生まれ続けているようだ。

 澤村伊智はこうした虚実のあやうい関係に、とりわけ意識的なホラー作家のひとりだろう。『ぜんしゅの跫』(角川ホラー文庫)は、デビュー作『ぼぎわんが、来る』以来書き継がれている人気作「比嘉姉妹シリーズ」の最新短編集。呪われた古い鏡にまつわる怪異を描いた「鏡」、セピア色の都市伝説がショッキングな犯罪を招く「わたしの町のレイコさん」など5編を収録。いずれも趣向を凝らしたホラー短編で、ファンの期待を裏切らない。
 表題作「ぜんしゅの跫」は、都内で頻発する通り魔事件の真相を、オカルトライター野崎らが追うミステリー色の強い力作。人びとを背後から襲う見えない怪物・ぜんしゅ。その正体や奇妙な名前の由来に、超自然的存在が〝どう語られたか〟に徹底してこだわる著者のスタンスが表れている。幽霊や怪物の存在を信じない人でも、嘘をまことに転じる達意のテクニックによって、背筋のぞっと恐怖を味わうことができるだろう。