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「パンデミックの倫理学」書評 優先順位の指針導く観点を議論

評者: 石川尚文 / 朝⽇新聞掲載:2021年03月06日
パンデミックの倫理学 緊急時対応の倫理原則と新型コロナウイルス感染症 著者:広瀬巌 出版社:勁草書房 ジャンル:哲学・思想・宗教・心理

ISBN: 9784326154708
発売⽇: 2021/01/16
サイズ: 20cm/158,12p

パンデミックの倫理学 緊急時対応の倫理原則と新型コロナウイルス感染症 [著]広瀬巌

 重症者全てを治療するには医師や病床が足りない。2カ月前、日本各地でそんな状況が現実化しかけた。患者に優先順位をつけなくてはならないのか――。
 本書は、感染症のパンデミック(世界的流行)時の対処に欠かせない倫理的観点について、基礎になる考え方と応用のあり方を論じている。大流行時には医療資源への需要が供給を超えて「選択的分配」が不可避になりうることに加え、感染拡大抑止のために権利と自由の制限が必要な場合もあるからだ。
 WHOの作業部会での議論に加わった経験もある著者は、第一の原則に「救命数最大化」つまり死ぬ人の数を最小にすることを挙げる。ただし、公平性と透明性が損なわれない範囲で、との制約がつく。例えば人工呼吸器の使用は、基本的には回復する可能性が高い患者を優先するが、障がいをもった重症者の優先度を下げるのは不公平であり不正であるという。
 さらに、公平性の観点からは、年齢に関しては、若い人を優先して助ける「生存年数最大化」も、倫理的に正当化しうるともいう。ただ、この考え方は高齢者の生命や生活の質の軽視という悪影響をもたらしかねず、極めて抑制的に用いるべきだともされている。
 こうした原則から、ワクチン接種時になぜ医療従事者や高齢者を優先するのかといった具体的指針も論理的に導かれる。その展開は分かりやすく説得的だ。
 一方で、救命数最大化は優先度が低いとされた患者からの人工呼吸器の取り外しを含意しうる。生存年数最大化による高齢者の後回しも、限定的とはいえ「命の選別」につながる深刻な判断だ。評者のように突き詰めて考えてこなかった者には、正直に言ってにわかに割り切れる自信がない。
 著者は冷静で公平な判断のためにも、対応策と倫理指針はパンデミック前に作成され、議論され、理解される必要があると述べている。重い問題提起である。 
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 ひろせ・いわお カナダのマギル大特別教授(哲学)。著書『平等主義の哲学』、共著『誰の健康が優先されるのか』。