宇山佳佑さんの恋愛小説がいま話題を集めています。2017年に発売された『桜のような僕の恋人』は発行部数59万部を突破。その後の『この恋は世界でいちばん美しい雨』『恋に焦がれたブルー』も、若い女性を中心に圧倒的な人気があります。
「読後感がよく、初めて小説を読む人や小説を読むことに慣れていない若い人たちの入り口にぴったり」。書評家の東えりかさんが語るように、宇山作品は読みやすく、誰もがすぐに小説の世界に入り込めます。そんな親しみやすい作風は、宇山さんがもともと脚本家であることも大きく関係しているのでしょう。
若者から大人まで泣かせる秘密
主人公は夢に向かって日々を精一杯生きている若者たち。仲むつまじいカップルが、思いもよらぬ不条理な運命に引き裂かれ、葛藤し、それでも愛する人のために生きていく……。宇山作品の多くは、そんな恋愛小説の王道をいくものです。それでありながら号泣する人が続出し、新たなファンを生み出し続けている。そこに作家としての宇山さんのすごみを感じます。
「宇山作品の多くは、痛切な『痛み』とともに、握る手のあたたかさをよく描写しています。SNSで多くの人とつながり、共感を求めながらも、自分のテリトリーには他者を入れたくない。そんな他者とつながることへの希望と恐れをもつ、今の若者世代の感性をうまくすくいとっていることも人気の理由だと思います」(東さん)
宇山作品は10代だけでなく、その親世代である40代女性にもよく読まれています。ピュアで人によっては気恥ずかしさを感じかねない純愛小説に、人生経験豊富な40代女性が共感しているのはなぜなのか。この点について東さんはグリム童話との共通性を指摘します。
「グリム童話は子どものための絵本になる過程で、原作がもっていた残酷さや怖さ、後味の悪さが消えていきました。でも大人はそんな絵本を読みながら、そこに書かれていないことにも思いをはせます。宇山作品にもそんな重層性を感じます。例えば『桜のような僕の恋人』は、透明な海を気持ちよく泳いでいるような感覚になる小説です。若い読者はその感覚を素直に楽しみ、大人たちはその背後にある苦い部分に共感しているのではないでしょうか」(東さん)
号泣した書店員が販促に力をいれる
そんな『桜のような僕の恋人』の魅力に、書店員は早い段階から気づいていました。「発売してすぐ、担当スタッフ全員が読んで号泣し、この作品の話で盛り上がりました。こんなことはめったにないことです。そこでこの本を〝当店で一番泣ける小説〟として打ち出すことを決めました」。三省堂書店名古屋本店の文芸書・文庫担当の本間菜月さんはそう語ります。
同店では鼻にやさしい保湿ティッシュをつけ、「可能な限り、お休みの前の日に、読むのがオススメです。(目が腫れます!(笑))」との言葉を添えた専用POPを設置。かわいらしい表紙にひかれて手にする若者も多く、売れ行きは最初から好調だったと言います。重版のタイミングで、夏の花火や秋のいちょう並木など四季ごとのイラストのカバーが作られ、季節を問わず、お客さんの注目を集め続けたそうです。
さらに昨年の7月以降、全国の書店で思わぬ現象が起きます。これまでに増して急激に売り上げが伸び、在庫不足に陥ったのです。出版社はあわてて増刷しましたが、最初はなぜこんなに急に売れるようになったのか、不思議だったそうです。
小説を読み慣れない若者の共感を集めた一つの動画
やがてその理由が判明します。TikTokにユーザーが投稿した一つの動画が原因でした。小説の内容を紹介しているわけでもなく、単に音楽に合わせて書影を映し、短い感想を載せただけの動画でした。ところがその動画にたくさんの「いいね」がつき、「私も泣いた」「最高だった」などといったコメントが増えていったのです。その後、コメント欄はこの作品を愛する人のコメントで盛り上がり、それを読んだ人が新たに本を購入するようになっていきます。
書店では「TikTokを見て買いに来たのですが、この本はどこにあるのですか?」などと尋ねる人が増えました。「小説を読むのは嫌いだったけど、この本を読んだおかげで小説が好きになった」「本なんて面白くないと思っていた自分が読んで号泣した」。そんなコメントが象徴するように、TikTokの動画をきっかけに、それまで小説を読んでいなかった層が、宇山作品を読むようになったのです。
それにしても『桜のような僕の恋人』は、なぜここまでTikTokユーザーの心をひきつけたのでしょうか。TikTokで「#本の紹介」キャンペーンなどを担当する、運営チーム・石谷祐真さんに聞きました。
「正直、私どもも驚いています。ただTikTokは投稿された動画を起点に、それに共感する人が集まり、一種のコミュニティーとして盛り上がっていく傾向があります。著名人やインフルエンサーではない一般の方の投稿でも、共感されればどんどん視聴者が増え、長期的に盛り上がっていきます。そんなTikTokの特性が、この作品への共感を大きく広げるうえで一役かったのだと思います」(石谷さん)
動画プラットフォームであるがゆえに、情緒的な共感が広がりやすい面もあったのでしょう。いずれにしろベストセラーは、ふだん本を熱心に読んでいない層が手にとることで生じる現象です。これまでの純愛小説のベストセラーも、実際に本を読んだ人の「感動した」「泣けた」との口コミが大きな要因となって人気に火がつきました。そういった意味ではTikTokをきっかけにした宇山作品のブレークは、極めて今日的な現象でありながら、まさにベストセラーの王道をいくものだと言えるでしょう。