「語ったり聞いたり」することの効用
――「三島屋」シリーズは、神田の袋物屋・三島屋名物の〈変わり百物語〉で語られた、不思議な話や恐ろしい話を中心に据えた連作時代小説です。大勢の人が一堂に会する百物語ではなく、語り手と聞き手が一対一で対面する〈変わり百物語〉という斬新な趣向は、どのように生まれたのでしょうか。
最初のうちは、岡本綺堂の『三浦老人昔話』などにある「誰かが語る怪異譚を皆で聞く」という形式の江戸怪談連作をやってみたいと思っていたのですが、ちょっと試みてみると、これはアイデアのストックが山のようにあって、一人語りの文体だけで様々な社会階層に属する老若男女を書き分ける筆力がないと、とうてい続かないと身にしみました。
そこで一対一の形式にして、「聞き手の側がただの物好きではなく、怪談に耳を傾ける切実な理由を持っている」設定にしようと思い立ちました。もっとも、ずっと「切実な理由がある」おちか一人を聞き手にしていると、シリーズ全体が陰鬱になってしまうので、シリーズ開始してまもなくから、タイミングをみて語り手をバトンタッチしてゆく計画を立てました。
――三島屋主人夫婦の姪であるおちかは、悲惨な事件によって心に深い傷を負っていましたが、〈変わり百物語〉の聞き手を続けることで立ち直っていきます。怪談を聞くこと、語ることによって人が癒やされていく、という発想がシリーズの根底にはありますね。
何かに悩んでいるとき、誰かにその話を聞いてもらうだけで気が楽になるというのは、私たちが日常的に経験することです。また、古くはラジオの身の上相談、現在ではネットの書き込みなどを通して「他人の人生」の一端を知り、それによって自分の生活を省みたり、元気づけられたりすることもあります。このシリーズには、そういう意味での「語ったり聞いたり」することの効用を、素朴な形で表せたらいいなあと思っています。
――前作『黒武御神火御殿 三島屋変調百物語六之続』より、聞き手がおちかから三島屋の次男・富次郎に交代しています。いわば「三島屋」シーズン・ツーの開幕ですね。
富次郎は現代ですと大学3年生から4年生ぐらいの若者です。繁盛しているお店の「ぼっちゃん」で、気のいい人ですが、喧嘩に巻きこまれて大けがを負った経験から、「死」というものへの具体的な恐れも抱いていますし、だからこそ一度しかない人生を大切にしようと考えている、意外と生真面目な青年でもあります。
おちかは「やむにやまれず」聞き手になりましたが、富次郎はもう少し自由で、「聞き手」という立場を楽しむ余裕があります。反面、おちかほどの覚悟がありませんので、いちいち震え上がったり、語りに感情移入しすぎて動揺したりします。こんな「弱っちい」富次郎のおかげで、エピソードの幅が広がりました。
バラエティに富んだ三つの江戸怪談
――新刊『魂手形 三島屋変調百物語七之続』には、三つのエピソードが収められています。第一話「火焔太鼓」は、あらゆる火災を制する神器にまつわる物語。どのような経緯で生まれた作品ですか?
個々のエピソードのネタは、思いつくそばからメモしておくのですが、短い走り書きなので、あとで見てみると「何だこれ?」となることがよくあります。「火焔太鼓」はタイトルが先に決まり、「自在に火を熾せる」太鼓なのか、「絶対的な火防の力を持つ太鼓」なのか、どっちなのか自分でもわかりませんでした。今回は火防の方になりましたが、現代よりもはるかに火の扱いに手間がかかった江戸の暮らしのなかでは、「自在に火を熾せる」ことも面白いネタになりそうです。
――「火焔太鼓」で語られるのは、山の連なる某藩で起こった不思議な事件。「三島屋」シリーズでは、これまでも各地方に伝わる不思議な風習や言い伝えを扱ってきましたね。
シリーズが進むうちに、どんどん地方の話が増えてきて、最近では江戸市中の市井怪談が減ってきてしまいました。江戸は日本中の物資が集まる場所で、参勤交代で強制的に国許と往来させられる武士でなくても、出稼ぎや行商による庶民レベルの文化の交流もあったようです。それを踏まえて、海や山に出没する怪物や、不可解なしきたりなどを描くのは楽しいです。
――第二話「一途の念」では、屋台の団子屋のおよしの口から、彼女の家族に起こった哀しい事件が語られます。この話のように〝幽霊が出てこない不思議な話〟も「三島屋」シリーズのひとつの特徴です。
幽霊やお化けが出てこないタイプのエピソードは、生きている人間の善悪をストレートに題材にすることになりますので、いつも難しく感じます。このシリーズが「語り手が来てその場で語り、その場で終わる」形式であることに、いろいろな面で救われていると思います。
生まれ故郷・深川が舞台の表題作
――表題作の「魂手形」では、深川の木賃宿で起こった出来事を、いなせな老人が回想します。宮部さんの出身地でもある深川は、『本所深川ふしぎ草紙』など他の作品にもたびたび登場しますね。
深川は私の生まれ育った町ですが、作品で書くときは、「フィクションでよく描かれている皆様にお馴染みの深川」にしていると思います。そうでない深川があるのかというと、またそれも微妙なのですが(笑)。
――お盆シーズンを描いた「魂手形」は、人の魂がどこに行くのかという問題を扱っています。木賃宿の奇妙な客・七之助の正体も合わせて、このシリーズの死生観、他界観がはっき描かれた作品のような気がします。
このシリーズでは老若男女の様々な体験が語られます。「魂手形」では「魂の里」なんて場所があることになっていますが、この先、それではまったく説明がつかない幽霊の話を語る人が来るかもしれません。
それを考えると、ここまではっきり「死後の魂の事情」を書いてしまうのはどうか? と躊躇するところがあり、ずっと手元に置いていたネタでした。でも今回、三好愛さんに絵をつけていただけるなら、このとんでもない話にファンタジー的な余裕と広がりが生まれるのではないかと思い、表題作にすることにしました。
――ところで「魂手形」では、三島屋にある慶事の知らせが届きます。シリーズを最初から追ってきた読者には、感慨深い展開でした。
ありがとうございます。おちかが所帯を持ち、やがてお母さんになるということは、最初から予定していましたが、実現出来て私もほっとしました。
挿絵の楽しみをあらためてアピールしたい
――嬉しいニュースの反面、物語の結末には謎めいた〈商人〉が現れ、富次郎に不吉な言葉を投げかけます。第1巻からたびたび登場する彼は、いったい何者なのでしょうか。
ときどき現れる「商人風の謎の男」は、本人が言っているとおり、あの世とこの世のあいだを行き来している存在です。おちかに粘着していたようでしたが、おちかが嫁いでしまったら富次郎の前に現れるようになりました。好んで怪異譚を集めるような数寄者が道を踏み外さないように見守っている、閻魔様の遣いかもしれません。
――単行本に掲載された挿絵も、このシリーズの大きな魅力ですね。『魂手形』では三好愛さんのキュートな挿絵が、物語を彩っています。
絵心のある富次郎が、エピソードの終わりごとに絵を描く――という展開になる以前から、このシリーズには挿絵が必要でした。私が子供の頃は、大人が読む小説でも挿絵が入っているものが珍しくなかったのに、いつの間にか見当たらなくなりました。シリーズを始めるとき、「ぜひ挿絵の楽しみをアピールしたい」と相談して、現在の形になりました。
『魂手形』に続く『八之続』も三好愛さんの挿絵です。単行本2冊続けて同じ絵描きさんにお願いするのは初めてのことですが、7巻と8巻はおちかのおめでたという大きなトピックでつながっており、上下巻みたいなので、三好ワールドで統一していただけて、本当に喜んでいます。三好さんの絵は優しくて可愛いのに、何となく不吉です。そこが7・8巻のエピソードにぴったりで、連載しながら私は毎回小躍りしておりました。
――全99話が予定されているという〈変わり百物語〉も、3分の1まで到達しました。気になるシリーズの今後について、明かせる範囲で教えていただけますか。
商いの修業先から帰ってきた長男の伊一郎が三島屋の跡継ぎとして落ち着き、縁談も進んで、次男の富次郎も自身の生き方を真剣に考えるようになります。この兄弟のあいだにも、いろいろドラマを考えています。
聞き手は今後、あと2人交代します。ときどき読者の方からご心配をいただくのですが、守役のお勝は三島屋を離れずに99話目まで見届けますので、どうぞご安心ください。
一番恐ろしいものは「自然」です
――それは安心しました! ところで「三島屋」シリーズによって江戸怪談の魅力に開眼したという読者も少なくないと思います。宮部さんおすすめの江戸怪談を、何作か挙げていただけますか。
もちろん岡本綺堂がお薦めですが、それだといつも同じことばっかり言っているので、ちょっと趣向を変えます。
地方の怪異譚を書く際、映画「大魔神」シリーズがとても参考になりますし、雰囲気も盛り上がるので、よく観ています。特撮時代劇、お薦めです。「三島屋」シリーズではありませんが、私の『荒神』という怪物が出てくる長編時代小説は、ほとんど「大魔神」と韓国のポン・ジュノ監督の「グエムル 漢江の怪物」へのオマージュでした。また、こうの史代さんに素晴らしい挿絵をつけていただいたという点でも、忘れられない作品です。
――そんな宮部さんがこの世で一番怖いものは何でしょう。
私は怖がりなので、いろいろなものが恐ろしいですが、一つだけあげるならば、今は「自然」でしょうか。天災も疫病も自然のサイクルのなかから生じるものですし、自然には感情がありませんから、「今、人間社会はこんなに大変なんだから勘弁してください」と訴えても通じないですよね。年齢を重ねてきて、それが一番恐ろしいことだと感じるようになりました。
――古今東西、怪談やホラーはいつの時代も読み継がれ、書き継がれてきました。実作者である宮部さんは恐怖を扱った文芸に、どんな力があるとお考えですか。
恐怖を扱った文芸作品は、一夕をスリリングに楽しく過ごさせてくれて、「悪」や「魔」や「邪」が自分とは無関係なものではないこと、それと向き合うとき、けっして油断してはいけない、舐めてはいけない、見下してもいけないということを教えてくれると思います。
――悪しきものや邪悪なものは、意外と近くにある。まさに「三島屋」シリーズのテーマでもありますね。今後の展開を楽しみにしています。