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宮部みゆき「この世の春」書評 呪いをはき出す心の闇に対抗

評者: 市田隆 / 朝⽇新聞掲載:2017年10月15日
この世の春 上 著者:宮部みゆき 出版社:新潮社 ジャンル:小説・文学

ISBN: 9784103750130
発売⽇: 2017/08/31
サイズ: 20cm/397p

この世の春(上・下) [著]宮部みゆき

 社会派ミステリーからファンタジーまで、時空を自在に行き来し、想像力を広げる著者の多彩な小説世界に魅了された読者は多い。作家生活30周年の節目に刊行された本書は、著者が得意とする江戸期が舞台の時代小説だが、「サイコ&ミステリー」とうたわれた様々な仕掛けに満ち、時代小説の枠に収まらない新たな物語を紡ぎ出している。
 下野北見藩二万石を治める藩主の北見重興(しげおき)が重臣らに強制隠居させられた。重興が重用し、藩政を牛耳っていた伊東成孝を排除する政変とみられたが裏の事情があった。重興は悪霊に取り憑(つ)かれたような不可解な言動を繰り返し、藩主別邸五香苑(ごこうえん)の座敷牢に幽閉されていた。故あって五香苑に集った家臣の娘各務多紀、開明的な医師白田登、元江戸家老石野織部らが重興の乱心の謎を解明し救おうとする中で、呪われた藩主一族の過去が浮かび上がる。
 著者の時代小説では、当時の人々が呪いや祟(たた)りに極めて敏感だったことがわかる。そして、怪異な現象をつづるだけでなく、それが元々は人の心の闇から生まれる由縁を描くことに力を注いできた。本書の重要なキーワードも「呪い」で、権力争いなどから生じた呪いをはき出す闇の深さにがく然とさせられる。明らかになっていく呪いの犠牲者たちの事件は、現代の精神病質に基づく残忍な犯罪に通じる面もあり、その時代を超えた意味合いを持つ。
 一方、闇を晴らす光を描く筆にも説得力が宿る。重興の内面に隠された暗黒に立ち向かう多紀らの良心が確かなものであるからだ。中でも火傷(やけど)を顔に残した不幸な生い立ちを持つ幼い女中お鈴の純真な心は、欲得にまみれた闇の世界に対抗する力を表現しているように思えた。
 「闇と光の相克」の物語を描く試みは、著者が影響を受けたとする作家スティーブン・キングとも共通するが、長い作家生活の中で著者が独自の高みに達したことを実感させる秀作だ。
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 みやべ・みゆき 60年生まれ。99年、『理由』で直木賞。『模倣犯』『名もなき毒』『ソロモンの偽証』など。