ISBN: 9784622089810
発売⽇: 2021/04/13
サイズ: 20cm/315,23p
「数学に魅せられて、科学を見失う」 [著]ザビーネ・ホッセンフェルダー
物理学は自然科学のなかでも、もっとも高度に進んだ分野だ。その最大の理由は、数学による記述が驚くほど有効だからである。のみならず、不思議なことに根源的物理法則はただ難解で複雑なだけでなく、ある種の「美しさ」を備えた数学で書かれているらしい。
それがなぜかはわからない。この世界の振る舞いが、完全に数学で書き尽くせる保証はないし、ましてやそれが人間の美的感覚と一致しているのは奇妙だ。
これまでの素粒子物理学は、数学的美しさを指導原理として、目覚ましい発展を遂げてきた。現在の素粒子標準模型は、それ以上分割できない素粒子25種類がこの世界のすべてだと考える。
最後まで未発見だったヒッグス粒子は2012年に実験的に存在が確認されたが、理論的に提唱されたのは1964年。その検証には50年にわたる多くの研究者の努力と熱意の蓄積が必要だった。
にもかかわらず物理学者の多くは、この標準模型にはまだ美しさが足りないと満足していない。異なる性質を持つ素粒子が継ぎはぎ状にまとめられたままだからだ。
物理学者は、これまで発見された物理法則は、美しい数学を用いて自然に説明できることを学んできた。それを通じた感激と成功体験が、この標準模型の先にあるはずの深く美しい理論の存在を信ずる根拠なのだ。おかげで世界中の秀才たちが、こぞって大統一理論、超対称性理論、超弦理論などの難解な理論の構築を目指してきた。
しかし、ヒッグス粒子発見の例からもわかるように、仮にそれらが正しいとしても、実験的証明は極めて困難である。残念ながら、研究を進める拠(よ)り所(どころ)は数学的な美しさしかない。彼らは口々に「これほど美しい理論が正しくないはずがない」と言う。果たして本当だろうか。それが過去の成功体験による幻想だとしたら……。
美的感覚を信じて素粒子理論を研究してきた著者は、やがてそれに強い違和感を抱き、世界中の著名な素粒子理論物理学者たちに直接インタビューし、その疑問を率直にぶつけてまわる。結局のところ著者は納得できないままなのだが、交わされた対話の端々から、物理学者の多様な価値観を垣間見ることができ、極めて興味深い。
実験的検証ができなければもはや自然科学ではないとの批判は決して目新しくないが、本書は、内側の研究者が真剣に悩みつつ書かれた辛口の意見だからこそ傾聴に値する。私自身は、素粒子理論物理学は高度に進歩した自然科学の限界と可能性を占う例そのものだと考える。そして、自然科学と呼ぶかどうかは別として、数学的美を拠り所にして世界を解明し尽くしてほしいと切に願っている。
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Sabine Hossenfelder ドイツのフランクフルト高等研究所(FIAS)研究フェロー。理論物理学者。ブログが人気を集め、ニューヨーク・タイムズや英紙ガーディアンなどに寄稿。本書が初の単著。