ISBN: 9784000614665
発売⽇: 2021/04/08
サイズ: 19cm/216,7p
「分水嶺」 [著]河合香織
昨年2月、政府のもとに結成された新型コロナ専門家会議は、「3密の回避」「人との接触8割減」「新しい生活様式」を打ち出し、対策の中心を担った。それが6月、担当大臣が唐突に「廃止」を表明する。約5カ月間の舞台裏と人物像に迫った貴重な記録だ。
専門家会議は、「卒業論文」と呼ばれる最後の1本も含め、計11本の見解や提言を発表した。深夜に及ぶ会見を繰り返しつつ目指したのは、市民との危機意識の共有であり、そのための情報発信である。
ところが政府や官僚組織から事細かな注文や横やりが入る。底流に見え隠れするのは「国民の不安をあおってはならない」という考え方と、間違うことがないという前提で物事が進む「無謬(むびゅう)性の原則」だ。
それでも、未知のウイルスに対処するには、エビデンスが不十分な段階から手を打ち、一人ひとりに協力してもらわなければならない。「サイエンスというのは失敗が前提。新しい知見が出てくれば、前のものは間違っていたということになる」(副座長の尾身茂氏)という言葉からは発想の違いが明快にみてとれる。そして両者の溝を埋めるべく腐心する官僚がいたのもまた事実のようだ。
「前のめり」という言葉を使って「あたかも専門家会議が政策を決定しているような印象を与えた」と総括したように、対策のひずみや不満の矛先は彼らに向かった。尾身氏に警護がついたことは知られているが、一時的に入院生活を余儀なくされたり、訴訟を起こされたりしたメンバーがいたことを私は知らなかった。むろん責められるべきは、「専門家の意見を聞いて」という決まり文句を盾に、巧妙に責任を回避してきた政府の側だ。
かくして専門家会議は解散に至り、政府の体質はおそらく変わることなく緊急事態宣言の今がある。当時のメンバーが、会議体は違えど、現在も最前線で奮闘していることが救いだ。
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かわい・かおり 1974年生まれ。ノンフィクション作家。『選べなかった命』(大宅壮一ノンフィクション賞など)。