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「言語学バーリ・トゥード」川添愛さんインタビュー ダチョウ倶楽部やラッシャー木村をAIは理解できる?

川添愛さん=家老芳美撮影

言語学を駆使して「何でもあり」

――「バーリ・トゥード」はポルトガル語で「何でもあり」という意味で、ルールや反則を最小限にした格闘技の一ジャンルだそうですね。

 今の総合格闘技みたいだと思われることも多いですが、どちらかというとプロレスが一番近いんじゃないかと思います。プロレスは「5カウントまでなら反則OK」だったりして、かなり何でもありなんじゃないかと(笑)。

 最初は「言語学者の頭の中」などライトな連載タイトルを提案したんですけど、編集者から「もう少しインパクトがほしい」と言われたんです。依頼の時に「お話でもエッセイでも、何を書いてもいいですよ」と言われました。だから「何でもあり」ということで、「バーリ・トゥード」でいいかなと思いました。あまりバトルという感じはないんですけど。

本書は東京大学出版会PR誌「UP」の連載をまとめた。同誌に連載を持つ東京大学教授(宇宙物理学)の須藤靖さんは、川添さんに「バーリ・トゥード」とは何かの説明がないことを指摘した。イラスト:コジマコウヨウ

――かなり変わったタイトルです。

 当時はもうフルタイムの研究者を辞めていたので、先生みたいに「言葉はこうなんだ」と教えるような文章は書いちゃダメなんじゃないかと思ったんです。それよりも、言語学者は日常的にどんなことを考えているか。どんなことを面白いと思っていて、言葉について考える時にどういう風に頭が動くのか。そういうものを見せていけたらと思いました。

――川添さんはずっとプロレスが好きなのでしょうか?

 父親が好きだったんですよね。子どもの頃は、週末の夜のゴールデンタイムにプロレスが放送されていて、父の横から見ていました。でも怖くてあまり好きじゃありませんでした。家を離れてからは全然見ていませんでしたが、結婚してから、夫がプロレスや総合格闘技が大好きなので、一緒に見るようになりました。もう大人になっているので、昔ほど怖いとは思わなくなっていたんですね。だからまともに直視できるようになったのは、ここ20年くらいですかね。

――プロレスの魅力とは?

 いろんな面白さがあります。まず、試合そのものがすごく質が高くて面白い。基本的にプライドを賭けて闘うところが魅力です。チャンピオンになっても賞金が出るわけじゃない。ベルトはずっと自分の手元にあるわけじゃない。ただ「自分は強い」というプライドを賭けて闘うんです。

 そしてやっぱりプロレスは歴史が重要なんですよ。たとえば、若手の時はあまり強くなかった人がだんだん強くなって、昔勝てなかった人と対戦をしたりする。長い歴史の中で人間関係が生まれて、ぶつかり合ったりする。ストーリーの流れがあることがすごく面白いと思います。

――プロレスと言語学では、通じ合うような接点はあるでしょうか?

 基本的に接点はないと思うんですけど(笑)。ただプロレスラーは面白い人が多いので、変な発言が面白かったりします。論文になるようなものはないですが、現象としてすごく面白い言動をされる方が多いなと思います。

なぜ「こんばんは」で爆笑したのか

敵地の新日本プロレスに乗り込んだアニマル浜口(左)とラッシャー木村(右) イラスト:コジマコウヨウ

――本の中で、ラッシャー木村の「こんばんは事件」という出来事の言語学的な考察がありました。

 リアルタイムでは見ていませんでしたが、ラッシャー木村は1981年に所属していた国際プロレスが解散して、直後に新日本プロレスのリングに上がることになりました。敵地に乗り込んで、ファンの緊張が高まる中で、第一声は「こんばんは」だったんです。会場の反応は爆笑や失笑だったと言われていますが、ビートたけしもギャグで「こんばんは、ラッシャー木村です」と言い始めたんですよね。なんでそれが面白いのか、すごく気になりました。

 当時からプロレスで敵地に乗り込んでいるのに、「こんばんは」と言うおとなしい挨拶はおかしいと思われていました。大体それで終わりなんですが、言語学者だったらなぜそれがおかしいかをもうちょっと考えようとするんですよ。

――「こんばんは」と言うのは、なぜおかしいのでしょう?

 まず、ラッシャー木村が新日本プロレスにとって「敵」であったという関係性を考えてみます。国語辞典で挨拶の項目を引いてみると、「相手に対する敵意のなさを表す」とあるんですよ。

 さらに「敵意がある」状況以外で、挨拶をしない状況を考えてみました。自分の経験で挨拶なしで話しかけるのは、どんな状況だったかの観察をはじめました。すると、体調が悪そうな人に話しかける時、人に危険を知らせる時などがそうなんですね。

 共通点を見てみると、相手を驚かせても構わない時、むしろ驚かせた方がいい時に、挨拶をせずに話しかけるという一般的な法則が見えてきました。ラッシャー木村の「こんばんは」はそれに反していたから、面白かったんだなと思いました。

「絶対に押すなよ!」は超・珍事例

ダチョウ倶楽部のギャグ「絶対に押すなよ!」 イラスト:コジマコウヨウ

――ダチョウ倶楽部が熱湯風呂を前にして言う「絶対に押すなよ!」も考察していました。「押すなよ」は実際には「押してくれ」ということで、「意味」と「意図」が逆だと。

 なかなかそういう言葉は他にないと思います。合言葉などで(何かの言葉に)「意図」自体は自由に載せられます。でもダチョウ倶楽部の「絶対に押すなよ!」は「言っていること」と「していること」が正反対なんです。すごい事例だと思いますね。それを最初に教えてくれたのは、東京大学の岡ノ谷一夫先生でした。動物のコミュニケーションなどの研究をされている方です。

――そうした笑いは、AIが理解するのがとても難しいそうですね。

 笑いはものすごく難しいと思いますね。前に書いた小説『自動人形の城(オートマトンの城)』でもAIにとっての笑いを取り上げました。そもそもなんで私たちがギャグを聞いて面白いと思うのか、よくわからないんですよね。

 レヴィンソンという哲学者によれば、笑いについての古典的な仮説が3つあるそうです。思いがけないことを言われた時に面白いと感じる。他人が馬鹿なことをした時に優越感を感じて面白いと思う。あとはすごく緊張している状態でいきなりリラックスするとおかしくなる。

 どれもそうだろうなとは思うんですけど、決定的な決め手には欠けていると思います。常識から逸脱したことを言われると、怒ることだってあるかもしれない。緊張から解き放されても面白いとは限りません。本当になんで面白いと思うかは謎なんです。特に文化が違うと、全然わからないことがあります。

知識と文化の共有は可能か

――文化が違うと、全然分からない。

 同じ日本でも、ダチョウ倶楽部のことを知らなかったら「絶対に押すなよ!」と言っても、よくわからないと思います。なぜ「押すなよ」と言ってるのに押すんだろうと思うかもしれない。そして何が面白いのかわからない。

 面白さを感じるには、知識や文化を共有していないといけません。それは「意図」を特定させるための手がかりが言葉そのものの「意味」の中に入っていないという点で、AIには最上級に難しいのではないかと思っています。AIがギャグをわかるようになるには、社会の一員として人間たちと一緒に長期間生活し、人間と共に成長していけるような能力を持つことも必要かもしれません。

――SNSで言語学の視点からユーモラスに語った文章が「面白い!」という反響が多くありました。こんな風に世界が面白く見えてくるんだと思いました。

 言語学者が普段何を考えているか、おもしろおかしく伝えられたらと思いました。プロレスのネタがわからない人にはつまらないのではないかと思っていましたが、意外なことに、普段プロレスをご覧にならない方にもおもしろがっていただきました。もしかすると、他のスポーツのマニアっぽい話をしていたら、あまり受け入れてもらえなかったかもしれませんね。そこはプロレスというジャンルが無条件に面白いからでは、と思っています。