ユニクロの強みを横展開、食品業界の革新狙う
「あのユニクロが野菜事業に参入!」として、ビジネス界に衝撃を与えたのは、2001年5月、ファーストリテイリングの柳井正社長の記者会見の場でした。フリースの爆発的ブームなど、アパレル業界における革新的企業として多方面から注目されていたユニクロ。そのアパレルブランドの雄であるユニクロが、野菜事業へ乗り込むというニュースに多くの人は驚きました。
しかし、柳井社長にとっては決して突飛なアイデアではありませんでした。野菜を中心とした農産物は、生産から流通、販売までの工程に無駄が多いために価格が高止まりしている。その業界に、ユニクロで培った生産から販売までを一貫するオペレーションを導入できれば、アパレル業界のように、高い品質のものを安く提供できるはずだ……そんなシナリオが柳井社長の頭の中にはありました。
また、この多角化の背景には、ファーストリテイリングが直面していた業績の停滞もありました。2002年2月中間決算で、同社は上場後初の減収減益を発表します。成長するためには、あらゆる前提を疑って、全く新たな可能性を探っていかなくてはならない……そんな危機意識がある中で、かつてのアパレルと野菜事業の間に相似形を見出したのです。
ただ、この野菜事業への参入は柳井社長の発案ではありません。「食品を一生の仕事としてやりたい」という社員発のアイデアが採用されたものでした。このアイデアを発案した社員とは、当時事業開発部に所属しており、EC事業の部長をしていた柚木治氏。実家が青果店を営んでいたという柚木氏は、既存の野菜事業のビジネスモデルには、まだ品質向上と無駄の削減の可能性があり、改革の余地が大きいと睨みました。さらに柚木氏は、野菜の品質を向上させるための技術として、「永田農法」と呼ばれる栽培法に着目します。永田農法とは肥料や水を極限まで減らし、植物が生きようとする力を最大限に活かすというものであり、漫画「美味しんぼ」にも取り上げられた画期的な農法です。この農法ではコストは割高になる一方で、高い糖度や栄養価など野菜のクオリティは格段に高まります。柚木氏は品質を担保しつつコストを削減するために、農家に対する引き取り保証や、中間マージンの削減、そして販路拡大を通じて規模の経済を実現するといった戦略を立案します。ユニクロの衣料と同様に、規模の拡大と無駄の削減を通じて、「良いものを安く」を実現しようとしたのです。
柚木氏は、当初は「初年度は売上で10億~20億円、2年目以降、倍々ゲームで増やして、年間売上1000億円に乗せたい。売上予想が1000億円に届かない新規事業はうち(ファーストリテイリング)はやりません」と語り、このビジネスのポテンシャルに対する自信のほどを示しました。
自信満々だった柚木氏ですが、その裏側ではこの多角化のアイデアは経営会議では「勝ち目がない」「当社がやる必然性がない」ということで、厳しく反対されていた経緯がありました。アパレルしかやったことがない企業が農業へと多角化していくわけですから、当然の反応でもあります。しかし、唯一の賛同者だった柳井社長が、このアイデアに可能性を見出し、トップダウンでゴーサインを出したのです。
そして、2002年9月にはファーストリテイリングの100%子会社として、食品事業を専業とするエフアール・フーズを設立し、柳井氏が会長、柚木氏が社長に就任します。また新たな食品事業のブランドを「スキップ(SKIP)」と定め、翌月10月3日には、スキップを通じた食品販売を開始します。取り扱い品目は、野菜を年間60品目、果物を30品目に加えて、米、牛乳、卵、ジュースなどの合計約100品目。9割以上はインターネット経由の会員制宅配サービスとし、一都三県(千葉、埼玉、神奈川)に絞ることで流通コストを抑え、通常のスーパーに比べて約2割高い価格でスキップのビジネスを開始したのです。
安定供給のハードル高く
スキップの開始当初は、このビジネスへの注目度も高く、上々のスタートを切ることに成功します。
サービス開始から半年経った2003年3月初頭までの会員数は1万3500人と好調な勢いで、この調子でいけば前倒しの計画達成も予想されるほどのスタートでした。
しかし、その会員属性は独身世帯などに偏りがあったため、客単価は予想を大きく下回ります。さらに、スタートダッシュ以降の会員獲得も伸び悩み、2003年6月期の売上高は計画の約半分の6億5000万円、経常損益は9億3000万円の赤字で、黒字化には程遠い状態でした。
そのため、次の打ち手として、スキップは実店舗の出店攻勢に出ます。2003年5月、松屋銀座店を皮切りに、都内の優良立地への出店を通じて、家庭の主婦の需要を開拓し、客層の拡大と客単価の向上を目指したのです。
さらに、2003年7月には、会員制宅配サービスの対象地域を、当初の一都三県から本州、四国全域に拡大すると発表します。7月当時には1万1000人まで減少していた会員の拡大を狙いました。
しかし、必死の顧客拡大施策の裏側で、スキップは本質的な問題に直面していました。欠品問題です。農法にこだわるスキップの事業を拡大するためには、契約農家の拡大が前提になります。しかし、その農家の拡大は難航し、さらには本来的に不安定な野菜の収穫にも悩まされ、店頭では出品のコントロールができない状態が続きました。「クオリティが高い野菜さえ手に入れば顧客はついてくる」と信じて、とにかく美味しい野菜の提供に力を入れていたスキップでしたが、利用者が買おうとしていた野菜がかなりの頻度で欠品を起こしているという状態は、ふだん使いには耐えられるものではありませんでした。このような利用者のニーズとスキップのサービスとの間のズレによって、顧客はスキップから徐々に離れていくことになります。
結果的に、4万~5万人を目指した会員数は、その後も1万人前後を維持した状態にとどまります。出店拡大施策は失敗という総括をせざるを得ず、2004年2月末までに全店舗閉店の決定がなされます。ここにきてもはや黒字化に向けた施策も尽きたと判断した柚木社長は、柳井会長に事業撤退の意思を伝え、柳井氏も同意します。そして、2004年3月22日、エフアール・フーズは野菜・果物の販売事業から撤退するとともに、6月には同社を解散し、26億円の特別損失を計上します。
柳井会長は、「衣料品と異なり工業製品のような計画生産ができなかった。これ以上赤字が膨らむと取引先や株主に迷惑を広げる恐れがあり、撤退を決断した。当面はアパレル関連事業に専念したい」と話しました。
ファーストリテイリングの果敢な多角化のチャレンジは、構想発表から約3年、サービス開始からわずか1年半後の撤退という形で終わりを告げるのです。
「プロダクトのレンズ」を外せなかった
当時を振り返って柚木氏は、スキップ失敗の要因を、「顧客起点の考え方に欠けていた」と総括します。ではこの「顧客起点の考え方」が意味することとは何でしょうか?
私たちは、ある商品やサービスに対して責任意識を持つと、その「商品やサービスありき」の視点で物事を見るようになってしまう傾向を持っています。売上や収益、もしくは顧客数が気になり、いかにしてその商品やサービスを拡散できるかを考える。これはある意味当然です。
しかし、そこには大きな落とし穴があります。それは、「真の顧客の姿」を見ることができなくなってしまう、ということです。この状態を「プロダクトのレンズからモノを見ている状態」と表現したのは、イノベーション研究の第一人者クレイトン・クリステンセン教授です。自社都合の曇った視界で世の中を見てしまう、ということを、クリステンセン教授は「レンズをかけている状態」と表現したのです。そして、その「偏ったレンズ」をかけている限りは、顧客の真の姿は見えない、ということです。
柚木氏の反省の本質は、おそらくここにあるのでしょう。当時も当然顧客のニーズのことを考えたはずです。しかしそれでも「ユニクロの成功が野菜でも横展開できるはず!」という見立てや、「反対した人たちに対して、このビジネスモデルの正しさを証明してやる!」という反発心は、言わば「強烈な度付きレンズ」をかけて見ていた、ということなのです。
では、どうすれば良かったのか。それは、そのレンズを外すほかはありません。つまり、ユニクロやスキップというビジネスモデルは一旦置いておいて、利用者の立場に立ち、その生活をイメージしてみることです。利用者にとって、野菜を買う、ということは数多くあるルーティーンのうちの1つでしかありません。他に片付けるべき用事はたくさん存在するのです。その中において、品質が高いけど欲しい野菜が時々欠品している店はどのように映るのか……そこに思いを馳せてビジネスを考えることが、柚木氏の語る「顧客起点」なのではないかと思います。
日経ビジネス2020年6月1日号のインタビュー(「不屈の路程」)において、柚木氏は当時をこう振り返ります。
「買い物する側からすれば、なるべく多くの店を回らずに済ませたい。でも、欠品があると別の店に寄らざるを得なくなります。(自分の)妻からは『100回くらい言ったのに』と言われましたが、当時の私の頭には全く入っていせんでした」
まさにこのエピソードが示すように、「顧客起点」を言葉としては理解できていたとしても、その視点に立って注意深く考えてみるということとは大きな差があるのです。
事業のプレッシャーを強く感じれば感じるほど、私たちは自然と「プロダクトのレンズ」から世界を見がちになります。この事例は、その呪縛から逃れることの難しさを教えてくれます。
私たちへのメッセージ
この事例はファーストリテイリングの歴史にある数多くの失敗事例のうちの1つですが、この先には続きのストーリーがあります。それは、いまやファーストリテイリングの中で成長著しいジーユー(GU)というブランドを社長として率いているのが柚木氏だということです。
ジーユーは2006年にスタートしたものの破綻寸前となっていたブランドだったのですが、その再建のためスキップで失敗した柚木氏に白羽の矢を立てたのは柳井会長でした。そして、柚木氏が社長になるやジーユーは快進撃を始め、大成功に至るのです。
柚木氏はこのジーユーの再建において、「絶えずご近所さんや若いスタッフの声に耳を傾けることから始めている」と私との対談で語りました(GLOBIS知見録「企業をビジネススクールと捉える」)。このように、スキップでの「顧客起点」の教訓は大いに活かされているのです。このジーユー再建のストーリーを見れば、柚木氏にとっても、そしてファーストリテイリングにとっても、スキップ事業は決して失敗とは言えないでしょう。
「失敗は成功の母」という言い古された言葉がありますが、まさにその通り。短期的には失敗に見えることも、その学びを活かせば長期的には次の機会につながっていきます。この事例はそんな前向きな勇気も与えてくれるのです。
スキップ失敗でわかる3つのポイント
01 顧客を見る時は、自分自身が「プロダクトのレンズ」をかけて見ていることを認識すべき。
02 「顧客起点」で考えるということは、一旦自分のビジネスを忘れて、素直に行動を見つめてみることから始まる。
03 短期的な失敗は、やがて長期的な成功へとつながる可能性がある。失敗から学ぶことが重要だ。
参照:
『ジョブ理論』クレイトン・クリステンセン ハーパーコリンズ・ノンフィクション
「不屈の路程 ジーユー柚木治氏(1)柳井氏の「お金返して」から取り戻した自信」日経ビジネス 2020年6月1日号
「ファッションを、もっと自由に。26億円赤字撤退からの“倍返し”―ジーユー・柚木治社長【前編】」GLOBIS 知見録 2014年1月27日
「企業をビジネススクールとして捉える―ジーユー・柚木治社長【後編】」 GLOBIS 知見録 2014年1月27日