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高野公彦さん、第16歌集「水の自画像」 短歌60年、今でもうっとり

第16歌集を出版した高野公彦さん=2020年10月2日午後、東京都中央区、伊藤進之介撮影

 歌集は2019年1月から21年5月までに詠んだ426首を収め、後半にはコロナ下の日常がさまざまな形で顔を出す。その皮切りは「海を渡る蝶(ちょう)」と題した連作だ。

 《てふてふが一匹東シナ海を渡りきてのち、一大音響》

 中国の武漢で新型コロナウイルスに感染した患者が見つかってから、瞬く間に日本でも広がっていく様子を表した時事詠で、昨年春、短歌の総合誌に発表された。「何か大きな出来事が起きたら、いち早く現場に駆けつけるような気持ちで歌を詠んできた」と振り返る。

 新型コロナウイルスのニュースが流れたときは、「てふてふが一匹韃靼(だったん)海峡を渡つて行つた」という安西冬衛の短い詩がとっさにひらめいたという。「蝶墜ちて大音響の結氷期」という富澤赤黄男(かきお)の俳句を重ね、コロナ禍を「大音響」と表した。

 2004年10月から朝日歌壇の選者を務める。自身が短歌を始めたのも朝日歌壇への投稿がきっかけだった。選者の一人だった宮柊二が主宰するコスモス短歌会に22歳で入り、本格的に歌を詠み始めた。

 歌を作る原動力となるのは、「もやもやした感情を言葉に移して表現できたときの喜び」だ。ところが、自身の中の読み手が厳しい目で読み直すと、不満が生じるという。

 例えば、三十一文字(みそひともじ)に収まっていても、言葉と言葉のつながり方にリズムや力強さが欠けている場合だ。「韻律の乏しい歌ですね。一首の価値は意味が半分、韻律の良さが半分で、意味と音楽性が東西の横綱だと考えています」

 リズムはいいか、調べに乗っているか、独自な見方ができているか。これまで読み込んできた優れた歌人たちの歌に近づきたくて、作り替え、作り替え、なかには原型を留(とど)めない歌もある。

 《本当のわれに会ひたく歌を詠み、詠みて本当のわれ見失ふ》

 「僕の中の客観的な読者と素朴な作者が対話を繰り返しています。別に苦行ということでなくて、推敲(すいこう)するのが楽しいんですよ」。新聞歌壇の投稿についても「投稿する歌を週に2~3首ぐらいに絞り、じっくり推敲したほうが良い結果を生むと思いますね。作ってすぐ出さないのがコツ」と話した。

 長く詠み続けてきたテーマの一つに原発がある。『水の自画像』では、故郷の愛媛にある伊方原発を「白き巨獣」になぞらえた。

 《水軍の船往き来せし伊予灘のほとりに白しイカタサウルス》

 自身の老いの日常も、さまざまな角度から詠む。

 《日常の些事は一生(ひとよ)を豊かにす茄子煮が上手(うま)く出来たことなど》

 一貫しているのが、言葉への好奇心だ。「短歌には、言葉で遊ぶという喜びも含まれる。僕の場合、普段使わない文語を使う喜びとも直結しています」

 《関西の「来はる」も伊予の「来なはる」も優しき大和言葉のひびき》

 古(いにしえ)から続く言葉や日本語のやわらかな響きを大事にする一方で、〈眠る人(ネムラー)〉といった造語や〈ゴム手〉などの略語も歌に盛り込む。「いろんな言葉を使ってみるのは楽しいこと」という思いが根底にある。

 短歌を作り始めたころと、気持ちは変わらない。「五七五七七に言葉が収まったとき、しばらくちょっぴり、うっとりするんですよね。ふふふ、できたぞって、うれしいんです」(佐々波幸子)=朝日新聞2021年10月27日掲載