やせたい。
1970年代後半から80年代にかけ痩身(そうしん)は多くの女性の願いとなり、2008年のメタボ健診を経て、その欲望は中高年男性のそれともなった。大人がすっかり内面化した痩身願望は、その下のミレニアム、Z世代にも受け継がれたが、かれらの生態系は、はじめて痩身欲望に巻き込まれたかれらの親世代とは少々異なるようである。
SNSの表と裏
『ぜんぶ体型のせいにするのをやめてみた。』は、SNS空間の魅力と不気味さを描く。著者の竹井ことプー子(インスタグラム上の名前)のアカウントは、「一ケ月で五キロ痩せた時」という何の気なしにアップした投稿をきっかけに、12万人ものフォロワーを抱えるアカウントに成長する。「プー子」は、エクササイズを欠かさず、おしゃれをし、美味(おい)しいものも時折食べる明るい女子である一方、中の人「竹井」は疲弊してゆく。ほんの少しの体重増加に怯(おび)え、暮らしは美味しいものを食べる妄想で埋め尽くされる。厳しい食事制限は、親やパートナーといった大切にしたい人たちとの関係に亀裂を入れた。本書では、竹井がSNSから身体を引き剝がすまでの過程と、体重からの解放が描かれる。
竹井と同じ90年代生まれのharaによる『自分サイズでいこう』では、ダイエット投稿、広告が溢(あふ)れるSNSに、著者自身がカウンターを投げ込む様子が描かれる。haraは中3の時、数十キロのダイエットに成功し、その後リバウンドを経験する過程で過食嘔吐(おうと)を行うようになった。しかし雑誌やネットで知った、自分の体をありのままに受け入れ、好きになろうという「ボディポジティブ」が回復のきっかけとなる。
本著で注目すべきは、haraが自身の画力を生かし、プラスサイズ女性のイラストをSNSに投稿することを通じて女性の体形を取り巻く環境を変えようと試みることである。竹井がプー子をやめる過程とharaが発信を始める様子は一見正反対でありながら、SNSにおける痩身文化への抵抗という点で手を結ぶ。
体のデジタル化
韓国の作家、キム・アンジェラの『太れば世界が終わると思った』は、17年間に及ぶ摂食障害からの回復の軌跡と共に自身を取り巻く世界の様相を冷静に、繊細に描く。90年代生まれの竹井とharaとの対比で興味深いのは、80年代生まれのキムが巻き込まれたメディアがファッション雑誌であること。その時ファッション業界では極度に痩せたモデル達(たち)がもてはやされていたこと。時を同じくしてフィルムカメラからデジタルカメラへの移行が起こり体形補正が容易になったことである。衣装デザイン専攻の学生として、この時代の価値観とメディアの変化にキムはのみ込まれ、際限なき痩身願望に溺れてゆく。
近年とみに、ネットとリアルという二項対立が使われる。しかしこれら3冊は、この理解の無意味さを私たちに突きつける。理想体形を学習する場は、近所付き合いから雑誌、そしてネットの世界にあっという間に移行した。身体はデジタル化され、補正は容易となり、誰もが情報発信者となれる世界。若者の身体はその中を生きる。ある者はそこでもがき苦しみ、ある者は再生する。
これら3冊を「自分らしさ」を見つけた若者という有り体な理解に落とし込むべきではない。凄(すさ)まじい速度で拡張、変化するデジタル世界に否応(いやおう)なく影響を受けながらも、それに抗(あらが)い、その中で生きようとする人間の話として読んでほしい。キムがいうように、痩身願望の根底にあるのは「もう少しましな自分になりたい」という、誰もが持つささやかな願いなのだから。=朝日新聞2021年10月30日掲載