「毒親」という意識はなかった
――『血の轍』の構想を得たきっかけは何ですか?
僕の漫画は、ファンタジーも含め、すべて私小説のような味わいがあります。特に前作『惡の華』(講談社)は、僕の思春期の苦しみや孤独をもとにした自伝のような存在です。『惡の華』で自分の描きたい内面世界はすべて出し尽くしたつもりでした。
ただその後、自分のテーマの一つである親子関係がまだ描き切れていないという思いが湧いてきたんです。思春期は母との関係にも悩んでいて。ぜんぶ出す覚悟で始めたのが『血の轍』です。静一は僕の思春期がかなり投影された人物なんですよ。だから僕と同じ1981年生まれにして、自分の出身地の群馬を舞台にしています。背景は実家の近所ですね。
前に他作品で同じ群馬が舞台のものがあって、その時は普遍性を出すために登場人物は東京の言葉を話していたんですが、『血の轍』に出てくる人たちは群馬の方言を喋っています。普遍性ではなく個人に重点をおいて、自分の思春期の実感をリアルなものにするためにそうしました。僕と同じように思春期や親子関係が苦しかった人は、ぜひ『血の轍』を手に取ってもらいたいですね。何か響くものがあるのではないかと思います。
――ママは静一がもらったラブレターを静一本人に破らせるなど、だんだんと常軌を逸した行動をとっていきます。こういったことからも「毒親漫画」として反響を呼んでいますね。
1巻発売の際に、「毒親」とキャッチフレーズをつけたんですが、実は描きながら「(主人公の)静一のママ、毒親かどうかわからないな」と感じています。毒親だ、悪者だと切り捨てられたら静一も僕も楽なんですけど、静一のママは簡単にカテゴライズできない部分があるんですよね。だから途中でママによってある事件が起きたとき、静一は「ママじゃなくて自分が元凶なのでは」と考え苦しみます。
――「毒親漫画」でないとしたら、押見さんにとって本作はどのようなテーマの漫画なのでしょうか?
内省できる漫画です。思春期が苦しかった人も、大人になればいったん苦しみから離れて忘れられるかもしれません。だけど中には、時を経て、例えば親の介護が必要になったときに、再び自分の苦しみと向き合わなければならない人もいますよね。自分では乗り越えたと思っていたものが乗り越えられていなかったと気づく。そんな読み方もできます。
――描くにあたって影響を受けた漫画家さんや作品は?
思春期の煮詰まった自意識は安達哲さんの『さくらの唄』、内省の部分は、つげ義春さんの作品の影響を受けています。自然と自分のことを考えさせられたり、忘れたことを思い出させてくれたりするエンターテインメント作品が好きなんです。だから自分が漫画を制作するときも、まだ世の中にないテーマの内省できる作品を描いて、まず自分自身がそれを読みたいって思うことが多いです。
静一の主観の世界
――描かれる線は手書きですよね。そのせいか漫画なのに絵画を見ている気分になることがあります。
すべて静一の主観の世界なので、絵画のスケッチを見ているような印象にしたくて、アナログ作画にしました。グレーの部分などはスクリーントーンも使っていません。「この物語は静一の記憶であって、現実とは違うのかもしれない」という雰囲気を出すためです。作中でママの顔が変わるのも視点が静一だからです。最初と今でママの印象が変わったと思うかもしれませんが、彼女の内面はずっと同じなんです。外への表れ方が違うだけ。
静一だけじゃなくて、多くの人にとって自分の母親の顔が他人にも同じように見えているのかってわからないものですよね。内面もそう。自分の母親がどこにでもいる人なのか、特殊なのかわからないこと、あると思います。
――静一のママがどうしてあんな狂気に満ちた人になったのかも気になります。ママの背景は今後、明らかになるんでしょうか?
描いたとしても、それは静一の目というフィルターを通したものなので、あくまでも情報です。ママの視点から過去を描くということはしません。他の登場人物の視点にならないというのも本作の特徴です。静一の視点から少しもずらさずに、最後まで展開させるつもりです。
――静一の家族以外だと、静一の同級生の女の子・吹石さんもメインキャラですね。
吹石は静一の親子関係を外から見て「あなたのお母さん、やばい。僕と一緒に逃げていいよ」って言ってくれる、苦しい親子関係の一つの出口です。彼女と逃げる選択肢は静一の希望の形です。でも静一は、11巻で起きた大きな事件によって、吹石も含めた今までの人生が吹き飛んでしまいました。
――劇的な展開がないときも『血の轍』がいつも面白いのはなぜでしょうか?
派手な展開ではなくても、登場人物の本質や隠された欲求や欲望を一直線で出しているからかもしれません。本作で最初に起きた事件だけは、ある程度盛り上げて面白くしようとしたんですが、それ以外はあえて劇的にしようとか思わないですね。自分の場合、面白さを狙うと逆につまらなくなる気がするんです。
最新巻でママと静一が再会
――11月30日に12巻が発売されました。見どころは?
本作の途中で一度ママと静一は離れるんですが、12巻で再会します。そこが見どころのひとつですね。彼女が何を言うかですべてが決まり、今まで積み重ねてきた展開にも一つの答えが出るので、担当編集さんと「静一の内面は?」「ママは何を考えているのか」を突き詰めてママの台詞を決めました。
――押見さんが漫画制作で大切にしていることは何ですか?
自分の切実な問題に関わっているかどうかです。「『血の轍』が自分の家族関係を考えるきっかけになった」という感想を読者の方からいただいたとき、売れさせようとして漫画を描くよりも、自分のために漫画を描いたら結果として読者さんも楽しめるんだと感じました。これは特別なことだと思っていなくて、飲み会で自分をさらけ出して話すと盛り上がるのと同じ気がしています。
――今後の予定は?
『血の轍』と「別冊少年マガジン」(講談社)で連載中の『おかえりアリス』を続けられるだけ続けていきます。僕は登場人物にシンクロするタイプの漫画家なので、静一だけにのめりこむと苦しくなるときがあって。2本連載で良いバランスを保てているなと感じています。
『血の轍』にはこれから、大人になった静一が出てきます。最新の12巻で気になった方は「ビッグコミックスペリオール」で、思春期が大人の静一にどのような影響を与えたのか、ぜひ読んでみてください。