「超」がつくほどの格差問題を抱えるアメリカ。その社会構造をあらゆる角度から検証し、人々を経済的にも感情的にも引き裂いてしまっている根底にあるものを「能力主義」「功績主義」の観点から迫るマイケル・サンデルの『実力も運のうち 能力主義は正義か?』。読み進めると、他国の問題であると呑気ではいられない内容であった。
サンデルの著書は、これまで『これからの「正義」の話をしよう』に触れたこともあったが、社会善や功利主義、社会道徳という難しいテーマを、豊富な事例で日常の観点から考えさせてくれる。本書も「平等とは何か」を突きつける、深い内容だと感じた。
アメリカンドリームは死語なのか
「アメリカンドリーム」と聞くと、移民の国アメリカが拓いてきた自由や平等の精神を思い描く。あらゆる人種や境遇、立場を超えて大志を抱き、野心に燃え、ひたむきに努力すれば成功を掴むことができる、というポジティブなイメージを受ける。
私も80年代からハリウッド映画をたくさん見て育ったので、主人公が恵まれない境遇から成功していくサクセスストーリーにアメリカの自由な空気を感じ、惹かれるものがあった。日本に暮らしながら、もちろん良い面も沢山あるが、ネガティブな面として「出る杭は打たれる」「縦割り社会」「男性優位」「村社会」などといった、生きづらさを象徴するような言葉が、身の回りに蜘蛛の巣のように張り巡らされているのを感じていた。その点、能力主義はそれらのバイアスを取り払う、民主主義の象徴のようにも思えた。
能力主義社会の弊害
しかし今、その能力主義が果たしてきた役割がより多くの人の苦しみを増長させているのではないか、とサンデルは疑問を呈している。開かれたルールの下で等しく競い合い、勝者はそれに見合う報酬を得るのが当然であるのか。敗者は努力が足りないとして、自己責任という冷たい言葉の壁の中に閉じ込められてしまっていいのか。彼らから自尊心が奪われ、コミュニティーからの敬意が失われてしまうことこそが能力主義の弊害であり、虐げられた人々を苦しめ追い詰め、行き場のない怒りに火をつけ、社会を一層分断させてしまうものの正体なのだと本書から伝わってくる。
またそもそも、環境や時代も含めて、人は競争のスタートラインからあらゆる機会に対して平等なのであろうか。機会や環境に恵まれたからこその成功があるならば、「運」という要素を見過ごすことはできない。成功者にとって運の要素が大きいのであれば、謙虚な姿勢が求められる。
政治の「平等」とは
話を日本に向けると今、18歳以下の子供への給付金を巡って議論がなされている。こうした経済対策を含めた政治もまた、想像するだけで難しい。なぜなら「平等」などという最も抽象的な概念を実際に目に見える制度にして国民に示さなければならないからだ。どのように税金を徴収し、誰にどのように分配することが「平等」なのであろうか。
前の時代に「自由」や「平等」にかない採用されていた制度や価値観が、次の時代にも成果を出せるとは限らない。時代に合わなければむしろ、格差を生む弊害となってしまう。言葉(単語)は入れ物で、その中身(概念)は時代に合わせて常に変わり続けなければならない。
時代とともに揺れ動く平等や自由は、我々の生活にピタリと寄り添う事ができるのであろうか。能力主義への考察を通じて、現代の世界が見えてくるように感じた一冊であった。