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藤巻亮太さんが作家・辻村深月さんと山梨同級生対談(後編) 若い時と今を比べなくていい

藤巻亮太さん(左)と辻村深月さん

>音楽も小説も、作りながらテーマが見えてくる。対談の【前編】はこちら

甲府盆地に戻っていく

藤巻亮太(以下、藤巻):僕は2012年にレミオロメンっていうバンドからソロになって、それが結構大きなことで。それももう10年経つんですけどね。

辻村深月(以下、辻村):映画「太陽の坐る場所」がきっかけでお会いした時って、ちょうどソロになって2年目くらいでしたよね。山梨が舞台の作品でしたが、藤巻さんは当時からすごく地元への向き合い方が大人で、私は圧倒されていました。

藤巻:いやいや、そんなことないですよ。

辻村:隣町出身で、見てた景色がだいたい一緒なのに、私がずっと閉塞的に捉えていた部分や景色について藤巻さんがすごく感度の高い言葉で捉え直してて、衝撃だったんですよ。山梨は盆地で、四方が全部山だから、好きな本や音楽のような文化も山を越えて届いてくるイメージがあって。だからずっと作り手側が見えないし、10代の頃は周りに作家やミュージシャンもいなかったし、それが息苦しかった、っていう話をしていたら、藤巻さんは私と同じ感覚や景色を根っこにもった上で、「あの山の向こうには何があるんだろうってずっと気になってた」という風に語っていて。私が内に向けて考えていた、その外側をちゃんと見てた。なんてすてきな言葉で表現するんだろうって感動したんです。

藤巻:360 度山だったので、「向こうに何があるんだろうな」みたいな好奇心はやっぱりありましたよ。でもそこから出て行って、いろんな経験をしていくと、「今どこにいるんだろうな」って分かんなくなる時があって。そういう時にまた、甲府盆地に戻っていく。自分が小さい頃、親に大事にしてもらったとか、愛情をもらったとか、良いことも悪いことも、友達の関係もあったなとか、何でこれをやっていいのか、やっちゃいけないのかとか、理屈にならない部分って人間にあると思うんですよ。「なぜなら」って言葉にならないものが。僕の場合はこの世に生まれてきて、音楽に出会えたからこそ、できることは一生懸命やりたいなって思うし、盆地の外に行ってもまた帰ってきたいなと思うし、そこに山梨の風景とか人間関係とか、何かあるんですよね。

辻村:やっぱり原風景に戻っていくんですね。

藤巻:原風景っていうのがいつぐらいの記憶なのか分からないんですけどね。辻村さんは山梨にいた10代から切れてない自分がずっといらっしゃる。今の中学生が読んで、「これ、私の話だ」とか「なんで私のこと分かるんだろう」と思える小説が書ける。その途切れずにずっといる、一貫した部分がすごいなと思いますよね。

辻村:たぶん、自分が悔いのない、楽しい学生生活を送っていたら、こんなにも学校や10代を舞台にしないと思うんです。そうじゃなかったから、何度も何度も教室に戻ってくる。あの頃は教室でうまくやれなかったし、なぜ自分がうまくやれないのか、さっぱり分からなかったんです。今大人になって、何度も何度も考えてきたことで、当時の自分が言語化できなかったものも今なら言語化できる。それを今の読者の人達が「自分のことみたい」って読んでくれるんだとしたら、自分にはすごくいっぱい弟や妹のような仲間がいたんだって思うし、みんなが感じてはいるけれど言葉にできていなかったってものを探して捕まえるのが小説家の仕事なのかな、と思いますね。

「テクニカル」のあやうさ

藤巻:自分にとって地元の山梨はすごく大事な風景なんですけど、本当に住んでいて書いていたものと、東京で暮らすようになって書くものだとやっぱりどこかずれが出てくるような気がするんです。テクニック的な山梨っぽさとか、自然描写とか、そういうものは出したくないなぁとか。じゃあどこが落としどころになるかとか、曲作りには悩んでることが多いんですけど。

辻村:たぶん、それ、私も同じようなところに来ていますね。

藤巻:本当ですか、こんな作品が書けてらっしゃるのに(笑)。

辻村:悩みの一つとして、たとえば、どんな感じで作家を続けていきたいですか? と聞かれた時に、一番の夢としてはずっと現役で書き続けていけること。もう一つは「手癖にならないこと」があるんです。20代の頃は「何が自分らしいかは自分が決める」って強く思っていたのが、30代くらいになるともう、「何が私らしいかは、読んでくれた読者がそれぞれ決めていいことだ」って思うようになったんです。でも今はそこに甘え続けると、求められている自分像を自分で2次創作し始めそうで、それが怖いなって思うところがあって。藤巻さんがテクニックっておっしゃいましたけど、テクニカルな10代を書くとか、テクニカルな風景を書くっていうことができるようになってきてしまう分、あやうさもすごく感じるので、藤巻さんが今まさにそこで踏みとどまろうとしてるんだって思うと、力がもらえます。

藤巻:いやー、すごく揺らぎますよね。おっしゃる通り、20代は何者でもなかったので、何者かになりたいエネルギーで突き進んだと思うし。周りのものを打破していくようなエネルギーで。それでもし、何者かになったとするならば、そこからそれに応えるのか、それをさらに壊していくのかっていうのは、本当に悩みが深いところで。そこは今、辻村さんはどんな感じなんですか?

辻村:光栄なことに、作家って書いた小説が時を経て映像化してもらえたり、舞台化してもらえたり、新しく命を吹き込んでもらえることがあるんです。そういう時に20代の自分が書いたものを見ると、「もうこれはできないな」ということもやっぱり目の当たりにする。年を取って成熟することもあるんでしょうけど、若い時に何も知らないからこそできたエネルギーみたいなものは絶対にありますよね。でも若い時にそれを書いたのも自分であるし、今の自分も自分であるし、「手癖になりたくない」って考える時に、若い時の自分が作ってきた作風と今を比べなくていいって自然と思えるようになって、そうなったらちょっと楽になりました。

カレーとパクチーソーダ

藤巻:周囲の期待に応えるというところではどうですか? 「レミオのこういう感じが好きだ」っていうことに応えたいと思いながらも、今の自分とのズレを感じることがあって。20代、30代、40代と、どう過ごしてきたかとか、何が見えるかとかを歌ってくると、年齢的なものがすごく出てきてしまうんです。曲を作ることは自分なりに答えを出していくことなんですが、すごく引き裂かれるし、辻村さんはどうなのかな、と思って。

辻村:ちょうどそういうことを考えますよね。私は最近もう、書いた小説ごとに違っていい、と思っているんです。『かがみの孤城』とか『はじめての』収録の「ユーレイ」の作風は、自分の中ではカレーライスみたいなもので、みんなが好きだし、みんながきっと選んでくれる、っていう気持ちなんですけど、極北のすごく黒い感情みたいなものを書くこともあって。好き嫌いがあって当たり前って思うから、響く人が誰か一人でもいればいいという気持ちで送り出しています。ただ全ての小説をヒット作として売りたいって思ってくれてる出版社の人にはちょっと申し訳なくて、「これはもっとこういう風に展開すれば、広い層に届く」って言われても、「これはパクチーソーダみたいなものだからこれでいいです」って返してしまう(笑)。

藤巻:カレーにはならないって(笑)。

辻村:だってこれカレーライスじゃないから、でも好きな人は必要とするから、っていう感じに。広く薄くするより、そのもののよさを殺さずにいることの方が大事なんですよね。それが自由にできる状態を40代までに作っておけたことが、創作を続けてきた今の自分の財産なのかもしれないです。

藤巻:やっぱそこですよね~。

辻村:例えが変ですいません(笑)。

藤巻:そういう風に作品を生み出されてきて、ファンの方を獲得してきて、実績がそこにあるからできる冒険があって。

辻村:曲もそうだと思うんですけど、その時は受け手に刺さらなかったけど、時を経た時に、同じ人だけど状態が変わったことによって届くことってやっぱりあると思うんですよね。そう考えると、誰に何が刺さるか、に正解はないですよね。

創作のモチベーションは

藤巻:今は何が一番のモチベーションですか?

辻村:最終的に一番モチベーションになっているのは、「あれだけなりたかった職業だぞ」っていう昔の自分に対しての裏切れない気持ち。何かお仕事が来た時に、「スケジュールが……」ってなりそうな時も、それを断った時に10代の頃の自分に絶交されないかどうかをつい考えちゃうんです。「お前はそういうことがやりたくて作家になったんだろ」って怒られそうなものについては、忙しくても受けてしまうかも。10代の時に小説が大好きで、その世界に入りたいと思ってた時の自分くらい厳しく小説を読んでた人間を知らないので、あの時の自分が読んで「大人になってこんなの書くようになっちゃったんだ」って思われたらおしまいだな、とは思ってますね。藤巻さんの今のモチベーションって何ですか?

藤巻:ソロになってから何周もしてる部分ではあるんですけど、バンドの時って、美しく言えば、メンバーのためにがんばれたんです。曲を書くこともそうだし、これをがんばることでバンドが前に進むとか、バンドが維持できるとか。大変だったとしてもモチベーションをすごくもらっていたから、それがなくなった時にすごくむずかしくなって。自分だけのためにはそこまで書けないな、って思うところから始まって。1回、レミオとして社会との接点は得たんだけれども、藤巻亮太としてもう1回音楽を始めた人間だとするならば、その接点をちゃんと作って、その中で自分の役割を見つけて、経験値が増えていく中で新鮮なものに出会っていく。その感覚だけは忘れたくないなと思っていますね。

辻村:世界との接点を探してるんですね。

藤巻:接点みたいな感覚ってないですか?

辻村:接点がないって感じてる時は孤軍奮闘感があるんですけど、読者がついてくれたと信じられたことで、自分の仕事がきちんと繋がった感じがあります。藤巻さんはフェスも主催されていますよね? 多くの方と、間近な形で接するのがすごいなと思って。

藤巻:山梨の人に楽しんでもらいたいって気持ちがあるし、裏テーマとしては自分のフェスを開催すると、自分が尊敬するミュージシャンとの接点が生まれるんですよね。それは本当にありがたいことだと思っていて。歌い続けていくっていうのはすごく大事なことで、そこには新しい出会いがありますし、自分自身の中に色褪せない部分があることを再発見することもできる。今日、辻村さんに会ってこうしてお話しできたことも、すごく勉強になりました。

辻村:私も今日は励みになる言葉にたくさん出会えました。ありがとうございました。

藤巻:こちらこそ、ありがとうございました!

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