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藤巻亮太×高橋久美子 同世代音楽家対談(後編) 東京と地元、2拠点生活で刺激

藤巻亮太さん(左)と高橋久美子さん

▽前編はこちら

想像の中だけでは何も超えない

藤巻:高橋さんのエッセイは、理屈と理屈の間にあるようなこと、普通なら一掃されるようなことが丁寧に書かれていて、とても真摯だなと感じました。「フィクションじゃなくて、リアルを描きたい」と書かれていたのが印象的でした。

高橋:リアルが全てを超えてくるんです。小説も書きますけど、想像の中だけでは何も超えない。実際に農作業をしたり街に出てみると、頭で思ってたのと全然違うことってよくあるじゃないですか。

藤巻:思い込みって、怖いですからね。「人ってこうでしょ?」「これが普通だよね」と、自分自身の固定観念の中で生きてきたんだなと実感します。農業なんて、ほぼハプニングとも言えるんじゃないかなと思います。

高橋:そうですね。1年かけて育ててきたものが収穫直前に動物に食べられたり、病気で育たなくなってしまったりとか。それでやめていく人もいると聞きます。

藤巻:ダメージが大きくて、心がついていかないですよね。

高橋:収穫直前でダメになるなんてバカらしいし、だったらやめようと思うのも分かります。でも、そうすることで耕作放棄地が増えて、そこにイノシシが住み始める。猿も増えていて、私たちの畑の上側と下側の河原、どちらにも猿が住んでいて、両サイドから狙われているんです。

藤巻:そろそろ熟れてきたかな、という頃合いを見てるんですね。すごいな。

高橋:猿に盗られないよう、ネットの中で猿が好きな野菜を育てて、外では猿が嫌いな唐辛子やニンニク、菊芋などを育てたりしてます。ネットを少し絞め忘れたせいで、丸ごと食べられたこともありました。

藤巻:『その農地、私が買います 高橋さん家の次女の乱』で、詳しく書かれていますよね。そんな経験を言葉に変えて、人に届けられるのは素晴らしいです。想像を超えた現実を伝える代弁者ですね。

高橋:そこはちょっと後ろめたい気持ちもあるんです。みんなは失敗したら、しょんぼりしてダメージを負うけれど、私はそれを書くネタにしている。都合よく使って、ずるい仕事だと思っています。

「引き裂かれてる感じがかっこいい」

藤巻:『一生のお願い』で書かれていた、2拠点で生活する人ならではの「自戒の念」も共感できました。僕も山梨でフェスを開催しているものの、地元にコミットできているのかどうか不安なんですよね。1カ所に居ればカビも生えるけど、2拠点だと「カビも生えないし苔もむさない」と書かれてましたね。その不安に誠実に向き合われている様子にジーンと来ました。

高橋:地元に根っこを生やして生きている方には敵わないと思うんです。東京に出たんだから、故郷を忘れてがむしゃらになっている方がかっこいいというのも分かる。どっちにもいい顔をしているという複雑な思いもあって。父からは「東京に出たんだから、腹を括ってやればいい」とも言われました。

藤巻:その引き裂かれてる感じが、かっこいいなと思います。本の中では、瀬戸内寂聴さんから「もっと厳しい道を選んだらいい」と言われていましたね。その結果が今なのかなと思って。作詞家、作家として生きることも挑戦だし、その中で農地を買って、地元へ足を運び続ける。地元には地元のしきたりや風習があって、傷つくこともありますから。そんな経験があるからこそ、文章に感じるものがあるのかなと思います。そういった側面に光を当ててくれて、高橋さんのように踏ん張っている人がいるからこそ、見えるものがあると思って。

高橋:うれしいなあ、ありがとうございます。ただ、やっぱり農業は面白くないといけないと思っています。しんどいだけじゃダメだと思って、畑で仲間たちと曲を作り始めたんですよね。音楽は色々なものを包み込むんですよね。音楽じゃないものも音楽なんだと。春夏秋冬の風や光、虫や鳥の音。自然はこんなにも賑やかなんだと再発見できました。

藤巻:自然からは二度と同じ音は生まれないし、リズムが毎回違いますからね。

高橋:鍬(くわ)でザクザク土を耕す音も、すごくいいんですよ。それで自然と音楽をやりたくなりました。いろいろなこだわりも無くなって、地元のライブハウスで、決して新しくはない機材で録音したり、みんなの演奏も上手ではないけど「OK!大丈夫」って。現役の時には信じられないですよね(笑)。でもみんなの瞬間の音や声がとても良くて。

藤巻:(笑)。でもその感覚って、大事だと思います。

高橋:丸くなっただけなのかなと思います。えっちゃんとも先日話していたのですが、昔は尖っていたよね、って。作品に関しては譲れないことがいっぱいあって、感覚もすごく敏感になっていましたから。藤巻さんも第一線でされているので、いろんなこと感じられていると思います。

藤巻:正直、ドキッとしましたね。ずっと音楽を続けていて、自分も何か見失っているものがあるんじゃないかって。雨音を音楽に感じていたりする感覚的なところとか、昔はそんな感覚があったと思うんですけど、今はどうしても「作品を作る」が強くなってしまう。それでみずみずしさみたいなものが損なわれているんだとしたら本末転倒だなと思って。そこを大事にできたら、作品も言葉も、もっとみずみずしくなっていくかもしれないな、と。そこからまた音楽を眺め直せるような気もします。

高橋:自分の中の清水が湧き出るような感覚を思い返すと、初めて味わったのは、部室でギターを習ったり、バンドでドラムを叩いた時なんですよね。畑はそんな新鮮さです。

藤巻:ちなみに締め切りがある仕事で、どうしても書けない時はどうしていますか。

高橋:外の世界が羨ましくなって、ガチャッと家のドアを開ける。すると、外の世界はこんなに美しいんだ!と実感するんです。なぜ、ずっと家の中にいたんだろうと思ってしまうんです。「もう書かなくていいや」と思えるくらい、世界は眩いなという感覚を書けばいいんだと思って。具体的な何かを探していくというより、自分の中の清水が湧き出る瞬間を見つけることですかね。

藤巻:なるほど。僕は場所を変えたりすることがありますね。あとは寝起きでまどろんでいる時に頭の中で詞を考えたり。で、忘れないように、さあ書くぞ!とデスクに向かったら、その瞬間にすでに何かを失っていて。結果、そうなってしまうと違うものになっちゃってるんですよね。

高橋:言葉が逃げていく感覚は分かります。感じたことや気分を言葉に置き換えるって、すごく難しいですよね。頭の中でいい感じにできているのに、置き換えていくとすごく野暮になったりして。そこでずっと戦っているのかなと思います。見たもの、感じたことをどう伝えるか。

音楽家と農家の共通点は

藤巻:今は1年に10本ペースくらいで作詞をしたり書籍もいろいろ出版しているそうですね。これからやりたいこと、考えていることはありますか。

高橋:生活がど真ん中にあって、そこから生まれるものとしてものを書いていきたいと思っています。実は11月末には『暮らしっく』という2拠点生活のことも書いた暮らしのエッセイが発売されます。これからも日頃自分が感じていることや自分のアンテナありきで過ごしていくんだろうと思います。話は変わりますけど、ミュージシャンで農業を始める人が多いのは、なぜなんでしょうね。

藤巻:(レミオロメンの)ベースの啓介も、山梨でオリーブを育てて農園をやっていますしね。

高橋:ですよね! 気になってました。元銀杏BOYZの中村明珍さんも山口の周防大島でお百姓をしています。なぜかなぁ、物事の根本が知りたくなるからでしょうか。あと、音楽をやっている人は凝り性の人が多いですよね。農業も凝り性じゃないと続かないから、向いているのかもしれません。藤巻さんも良かったら、ぜひ愛媛にも遊びに来てください。

藤巻:ぜひよろしくお願いします。今日は貴重な話をありがとうございました! いい言葉をたくさん聞いて、刺激をもらいました。

高橋:こちらこそ、ありがとうございました!

対談を終えて

 高橋さんと話して思い出したのが、養老孟司さんの話です。中学生の時に、いじめにあった子が書いた手記を養老さんが読んだら、そこには人間関係しかなかったそう。その文章に書かれていなかったのは花鳥風月だったそうです。人は人との関わりだけで生きていけないし、良い時はいいけど、悪い時は本当に苦しい。人間は自然の中にいる、自分が自然の一部にいると知ることが、サバイブできるきっかけになるかもしれないという話です。その感覚と重なるなと思いました。

 高橋さんは、東京と愛媛の2拠点生活をしながら、すごくバランス良く生きてらっしゃるなと感じました。行動したから分かる感覚的なこと、大事な何かを確実に分かってらっしゃるなあと思って。一方で、2拠点で感じている不安や悩みも素直に受け止めてらっしゃる姿が素敵で、とても印象に残りました。 (藤巻亮太)