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「拝謁記1」 側近に感情を発露 退位にも言及 朝日新聞書評から

評者: 保阪正康 / 朝⽇新聞掲載:2022年02月12日
昭和天皇拝謁記 初代宮内庁長官田島道治の記録 1 拝謁記 1 昭和24年2月〜25年9月 著者:田島 道治 出版社:岩波書店 ジャンル:伝記

ISBN: 9784000265911
発売⽇: 2021/12/03
サイズ: 22cm/281p

「拝謁記1」 [著]田島道治 [編集]古川隆久、茶谷誠一、冨永望、瀬畑源、河西秀哉、舟橋正真

 田島道治(みちじ)は、1948年6月から53年12月まで宮内庁(就任時は宮内府)長官を務めた。歴代の宮内官僚とは異なるタイプであった。一つに戦前は銀行家、戦後は大日本育英会会長という経歴の民間人出身であったこと、二つに占領政策が民主化、非軍事化から一転して冷戦期西側陣営の防波堤の役割に変わっていく時の昭和天皇側近であったことが背景にある。
 歴代の天皇側近は、あまり詳しい記述を残さないのが暗黙の了解であったが、田島の日記類は、そういう約束にこだわらない。個人的な感情を交えて、さらには天皇が他人には聞かれたくないであろう内容まで書き残している。本人は焼却するつもりでいたらしいが、家族の助言で残された。それだけに貴重である。例えば天皇は、3人の弟宮の発言や考え方にかなり神経質だ。田島を通して、自らの「戦争御責任問題」をどう考えているかや、赤化の傾向などを確かめている。
 天皇は予想以上に世事に長(た)け、人物評価も明確だ。東京裁判の判決から1年近くを経たのちの1949年9月7日の記述になるのだが、田島から問われて裁判結果について意見を述べている。広田弘毅、木戸幸一、重光葵などの量刑には疑問を呈する。反して鈴木貞一、橋本欣五郎、大島浩などは「死刑でなきは不思議」との感想を漏らす。白鳥敏夫にも冷たい。
 ゆくゆくは皇太子の外遊、留学などもありうるというので、そうしたことに関する感想もしばしば述べている。「英米へ行くことは先(ま)づどうしても必然だと思ふ」と言いつつ、随員は英語のできる者をと名をあげて候補者を絞ってもいる。天皇はこの拝謁(はいえつ)記を読む限り類書にないほど冗舌で、特に戦後社会の動きに不安をもっていることもわかる。皇太子の外遊が早い方がいい理由を田島が問うと、天皇は意外な答えを返す。講和条約が締結された時に、「情勢が許せば退位とか譲位とかいふことも考へらるゝので」。田島はこの答えに「感激して落涙滂沱(ぼうだ)、声も出(い)でず」という状態になる。
 田島は、天皇がこの言葉を発する時が来ればそのようにしてほしい、それまで私も胸にしまっておくと訴える。この日(49年12月19日)の記述はとても長く、田島は「おえつ」激しく、天皇も黙したままであったという。本書の歴史的意味はこうした感情の発露が正直に書かれている点にある。
 侍従武官についても個別に名を挙げて褒め、長所を指摘している。しかし宮内庁に人材が集まらないのは、「立身出世主義である事が主原因」とも分析する。
 本書は全7巻中の最初の巻だが、以後に、さらに新たな昭和天皇像が浮かぶ感もする
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 2019年に「拝謁記」の存在を特報したNHKの協力のもと公刊する史料集。4年10カ月に及ぶ天皇との会話の記録と、田島の日記、関連資料を合わせて全7巻を刊行予定。天皇・天皇制研究者6人が編集委員を務める。