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爆弾を恐れず眠れる夜を 青来有一

イラスト・竹田明日香

 ロシアがウクライナに侵攻したのが2月24日、それからテレビの生々しい戦争の映像に胸が潰れるような日々が続きました。

 戦車の長い隊列や建物の破壊などの戦闘の映像とともに、避難するウクライナの人々の姿が映しだされました。コートやダウンジャケットを着て、ベビーカーを押し、犬を抱いた子どもたちもいて、戦時下の体制を示す褐色の国防服でなく、普段の生活そのままのカラフルな避難民の姿に、突然断ち切られた日常の無残な断面が見えるのでした。

 軍事演習の名目で国境に集まったロシア軍が侵攻してくる危機について、アメリカ政府は早くから情報を提供し、ウクライナ市民も地下壕(ごう)の準備などしていたようですが、多くの専門家がそうだったようにウクライナの人々も「まさか」という思いだったかもしれません。侵攻直前、女性や子どもたちが「板を切り抜いた銃」で軍事訓練をしているニュースを見たとき、戦争などむしろ非現実にも感じましたが、まもなくそれが現実になったのでした。

 春分の日の前日、3月20日にはウクライナの国内外の避難民が1千万人を超えたと国連難民高等弁務官事務所が発表した、という報道がありました。その頃「幸せとは爆弾の心配をしないで温かなベッドで眠れること」という避難民の女性の涙ながらの願いをネットで見て、気分は沈んでいくばかりです。今年の彼岸の墓参りはちょうどそんな時期でした。

     *

 父方の家の墓がある寺でまずお参りし、母方の墓地まで家々が軒をならべる路地の坂道を上るのが、例年の順路で、時間があれば長崎の街と港が一望できる丘の頂まで上ることにしています。

 その日は曇り空でしたが気晴らしに歩いてみて、長崎の港とびっしりビルや家々がひしめきあう中心市街地の景色をながめました。春の街のおだやかな景色にほっと一息つきながら「76年前、浦上方面のあの一帯は灰色の原子野がぽっかりとひろがっていたのだろうなあ」などと想像していたのは、やはりウクライナの戦争に心が脅かされていたのかもしれません。

 丘の頂には小さな空き地があり、その裏の小径(こみち)に一本のコブシの木が植えられています。毎年、その花を見るのも春の彼岸の墓参りの楽しみのひとつでした。今年も大きな蝶(ちょう)を思わせる白い花びらが群れ乱れて飛ぶようにひらひらと風にゆれていて、しばらくぼんやりとその花をながめ、なにも考えないでたたずんでいました。

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 帰りに坂道を下っていく途中、軍手姿で墓の草むしりをしていた高齢のご夫婦の会話がもれ聞こえてきました。たぶん、お昼のお弁当の話なのでしょう、「もう食べてもよかやろうか」と夫らしき男性が語りかけて女性が「まだ昼前でしょうが」と笑っている。通りすがりにもらい笑いをして口もとが自然にほころびました。そのときふっと幸せとはこんな暮らしの実感なのだろう、コブシの白い花とか、通りすがりのもらい笑いとか、ひとつひとつが日々の幸せではないか、そんな考えが過(よぎ)っていきました。「爆弾の心配をしないで眠ること」が幸せだなんて普段ならまず考えない。それは幸せを求める切実な「願い」か、願いが極まったときに現れる平和への「祈り」なのでしょう。

 ウクライナとロシアの複雑な歴史はひとすじなわで理解はできないのはわかります。冷戦時代からひきずってきたNATO諸国や米国との利害対立が複雑にからみあい、正義と悪の単純な図式では割り切れないというのもわかりますが、それでも「爆弾の心配をしないで眠りたい」という人々のせつない祈りを砕き、戦車で踏みにじっていいはずがありません。

 今年の彼岸はウクライナの地で逃げまどう人々に思いをめぐらせ、なんとなく途方に暮れるといった春の一日となりました。=朝日新聞2022年4月4日掲載