ジョージ・オーウェル『一九八四年』は救いのない世界、ディストピアを描く小説と見られがちだ。だが希望も書き込まれている、と読む。
発表されたのは1949年。近未来が舞台だ。ビッグ・ブラザーの支配のもと、人々はテレスクリーンで監視され、歴史はつねに書き換えられている。語彙(ごい)を減らし思考の範囲を狭める公用語ニュースピークは、すべて小文字で書かれ異様な感じを与えるなど、日本語訳では伝えにくい点も指摘する。暗い世界だ。
他方、美しい場面がある。主人公ウィンストンと恋人ジュリアが愛を交わす田園は木漏れ日にあふれ、ツグミが歌う。オーウェルが日常生活を書いたエッセー「一杯のおいしい紅茶」、春を思わせるカエルをめでた「ヒキガエル頌(しょう)」を連想させる。
「これらの『ゆるい』書き物と『一九八四年』は、別物に見えても肝心な部分でつながっています」
それは、ウィンストンが古道具屋で手に入れた古い日記帳や、百年以上前の珊瑚(さんご)が埋め込まれた美しいガラスの文鎮(ペーパーウェート)の描き方からわかる。
「公的には抹消された過去の記録や、歴史につながる手がかりです。想起し、忘れずにいること。生きたい世界が書かれているのです」
明治大学文学部で、詩人・工芸家ウィリアム・モリスの研究者、小野二郎に学んだ。オーウェルを訳した鶴見俊輔の影響も受け、「民衆文化を見る視点を教わった」という。
オーウェルの作品は、冷戦期から「ポスト真実」時代、コロナ禍とウクライナ侵攻の今日まで、政治的著作としてだけ読まれることが多い。だが、彼のねらいは「政治的著作をひとつの芸術にすること」だった。
「『一九八四年』の細部には、鉄壁に見える体制に亀裂を加える希望が、美しく書き込まれています。そういう側面を示す機会になれば」(文・石田祐樹 写真・伊ケ崎忍)=朝日新聞2022年6月4日掲載