僕は中学校に入って2回目の夏休みを迎えていた。
「暑い、暑い、暑いー!」
僕は、部屋の壊れかけたクーラーからへにょへにょとした冷風を浴びながら暑さに耐えていた。
母さんは一向にクーラーを直してくれないし、部屋は太陽がありがたすぎるくらい覗いてくるし、宿題は進まない。
そんなだらっとするしかない夏休みを過ごしていた。
リビングに行けば、母さんに外に行って遊んでこいだの宿題やれだの言われるから、リビングにも行く気にならない。
僕は至って、平凡でありながら退屈な中学生だ。
“バキっ”
「痛っ! わーなんだよ、こんなとこに定規あったのか」
寝返りを勢いよくうった僕は、床に落ちていた15cm定規を割ってしまった。
「あーあ」
頭をかきながら、ようやく身体を起こした。
「定規、宿題でいるよなぁ。買いに行かなくちゃ」
駅前の新しくできた文房具屋さんに行ったら、ここより断然涼しいに決まっている。
僕はようやく楽園に行ける理由を作れた。
母さんには帰りに醤油とネギを買ってくることを条件に、定規代をもらった。
僕は熱しられたコンクリートを踏みながら、駅へと向かった。
蝉の声がやたらにBGMを奏でてくる。
やがて蝉の声に合わせて一歩、また一歩と踏み出す僕もいる。
そんな、いたってどうでもいいリズムを刻んでいると、あっという間に駅についた。
「今日は駅に全然人がいないなぁ」
夏休みだというのに、子供は誰もいなかった。
栄えている駅な訳じゃないが、だからといって無人な町でもない。
僕はさほど気にせず文房具屋さんへと入っていった。
「あぁ涼しい」
キンキンに冷えた店内。
新築ならではの香りも、涼しさをより誘う。
広く、ガランと静まり返った店内。
やけに蛍光灯が目を刺激する。
僕は定規コーナーに向かった。
さまざまな長さや形の定規コーナーで選んでいると、後ろから1人の店員さんが僕に声をかけてきた。
「お客さま、本日は文房具フェア中で、お二階で文房具の歴史や昔の文房具なども取り扱っていますので、よかったらぜひ!」
僕は最初、万引きだと間違われるんじゃないかと胸をバクバクさせていた。
なんだ、と胸に落ち着きを取り戻す。
文房具に全く興味なんかなかったが、クーラーの壊れかけた家で暑がるよりはこの涼しい場所にいたかったため、いい理由ができた。
定規選びを中断し、僕は言われるがまま2階に上がった。
エスカレーターに乗ると、レジの中から店員さんが「ごゆっくり〜」とやけに笑顔が固定された顔で僕に声をかけていた。
2階にあがると、まただだっ広い店内に誰もいなかった。
「この店大丈夫かよー」と小さな声で呟きながら、一通り店内を歩いてみることにした。
店員さんの言っていた通り、1400年から使われていた文房具などが歴史順に展示されていたり、似たような形を作って販売されたりしていた。
なんだかんだで勉強になる歴史ばかりだ。
僕は思わず、展示物や当時の背景説明文に釘付けになっていた。
そんな僕の目を急ブレーキで止めた文字があった。
【1580年 絶望帳面 朔又 花座右衛門】
1580年、中学生だった朔又(さくまた)は古本屋にて絶望帳面と出会う。
この絶望帳面はありとあらゆる文章が絶望化されていくと噂が立ち、朔又は恐れられていく。
朔又は生涯この絶望帳面と共に生きていくこととなった。
そんな説明書きがされていた。
絶望帳面・・・・・・。
僕は、こういった怖い話とか占いとかは元々興味もなければ信じてもいなかったけど、朔又花座右衛門に妙に興味が湧いた。
絶望帳面らしきものを現代の人が復元したのか、展示もされていた。
僕は無性にこのノートが欲しくなった。
辺りを見渡すと、なにやら古い文房具と書かれた文房具コーナーがある。
僕は迷わずそこに行くと、吸い込まれるようにあるひとつの棚に迷わず目を留めた。
一番下の段の一番左だった。
そこには"絶望帳面"と書かれているノートが一冊置いてある。
僕は定規を買いに来たことをもう忘れ、絶望帳面を手に、1階のレジに小走りで向かう。
「あ、お気に召すものありましたか?」
さっきの店員がニヤニヤしながら僕に言ってきた。
「あ、はい。これにします」
「ほ〜これか。扱いには念のためご注意を!」と、また固定されたような笑顔で話してきた。
「あ、はい」
ぶっきらぼうに答えると、僕は急いでお会計を済まして店を出た。
なんだか、ものすごい物と出会ってしまったような気分だ。
今日はこんなにも誰一人いない町なのに、やけに絶望帳面を隠しながら帰った。
もちろん、おつかいの醤油とネギのことなど忘れていた。
僕は母さんの声も届かぬ速さで、自分の部屋に閉じこもった。
何やら、ぶつくさ母さんがリビングから文句を言っているような声はカサカサ聞こえる。
でもしばらくすると、母さんは買い物に出たのか玄関のドアが開いて閉まる音がした。
僕は絶望帳面を早速開いてみた。
どう見ても、普通のノートだ。
強いて言えば、昔ながらの縦書きノート。
なんにも変わりはなく見える。
僕は早速、絶望帳面の1ページ目に今日の日記を書くことにした。
絶望帳面に出会ったこと。
夏休みが退屈だということ。
早く学校が始まってほしいということ。
ありきたりな日常を文字に残してみた。
僕は絶望帳面を机の上に置き、その日はまたグダグダな夕方を過ごした。
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「起きなさい、ほら、もう昼前だよ」
母さんの声で目を覚ました。
「もう、朝か」
見事なまでに、夏休みボケを発動している僕は何時に寝たのかもよく分からない。
今日も暑さは変わらなそうだ。
蝉の声と、壊れかけたクーラーのカタカタとした音が夏休みを盛り上げているようだ。
僕は身体を起こして辺りを見渡した。
「あっ!」
僕は思い出したかのように、絶望帳面を探した。
机の上に変わらない顔して横たわっている。
特におかしなこともない。
「やっぱり言い伝えか・・・・・・」と少しでも信じていた自分にがっかりする。
朝食を取りに、リビングに行くと、母さんは青い顔をしてニュースを見ていた。
僕に気付くと、「あ、起きた? はぁ。こんなことってやっぱりあるのね。あぁ。もう仕方ないのかしら。嘘だといいのに」
普段から小言が多い母さん。
でも今日はいつにも増して小言が多い。
僕も母さんの背中越しにテレビに映るニュースを観た。
そこには信じられないニュースが。
"巨大隕石落下まであと24時間 さよなら地球"の文字が。
僕は信じられなかった。
昨日まであんな平凡だった僕。
焦り方さえ忘れているような、14年間平凡者だ。
あまりの文字のインパクトの大きさに、しばらくは口から声が出なかった。
母さんはウロウロしながら小言がどんどんと加速している。
残り24時間か。
その時、ぼくはハッとした。
急いで部屋に戻り、机の上に横たわる絶望帳面を開いた。
僕が昨日書いた日記。
今日僕は駅前にできた新しい文房具屋さんに行った。
そこで、この絶望帳面と出会った。
なんだかすごくほしくてたまらなかった。
本当に絶望になるかはさておき、僕はここに日記を書いていこうと思う。
何か変わったら面白いな。
それにしても僕の夏休みは退屈だ。
毎日過ぎるのが遅くてたまらない。
刺激的なこともない毎日だ。
早く夏休みが明けてほしい。
これが僕の昨日書いた内容だった。
日記にしてみれば、ごく普通かもしれない。
でも、僕が書いたのは絶望帳面の中。
背筋が凍っていくような感覚がした。
この隕石はもしや、僕が作り出した世界?
僕は確かに、刺激的な毎日じゃないことへの不満や、早く時が過ぎてほしいと書いた。
もしや、これが全て絶望変換されているのか?
24時間後に地球がなくなってしまう。
そんなすぐ目の前のことすら理解できず、なんだか窓から見える景色は穏やかだ。
僕は妙な自信さえあった。
きっと隕石なんか落ちやしないと。
こんなページ1枚で宇宙規模で変わるはずがないと。
だが、僕は穏やかな窓から顔を出したとき、さらにゾッとする現実を見た。
空があまりにもおかしな色なのだ。
暗い紫のような、赤黒いような。
不気味な空は、隕石の大きさを教えるようだ。
「母さん、もし24時間で地球が終わるとしたら、なにがしたい?」
僕はリビングに走って行き、母さんに質問を投げかけた。
「そりゃ、あんたといたいよ。それで母さんは満足。近くにいてくれるなら。死ぬときゃ一瞬よ」
母さんは、落ちついたり、落ち着きがなかったり忙しかった。
さっきまではあんなにバタバタしていたのに、なんだかもう覚悟を決めた母さんを見たとき、ようやく事の重大さを知る。
僕はまた絶望帳面を開き、全て文章が絶望になるなら、逆に絶望を書けばいいんだ!と反対の手段に出た。
地球が滅亡する。
これを書いた。
僕はすぐさま、窓から空を見上げて変化がないかを待った。
数分後・・・・・・。
「ええ! なんで、どうしよどうしよ、はぁはぁはぁはぁ」
母さんのバタバタした足音と何か叫んでいるような声が聞こえてきて、すぐにリビングに向かった。
母さんが見ていたテレビに映るのは、さっきまであと24時間だったはずが、あと“1時間”と映っている。
「そんな馬鹿な。僕は絶望を書いたのに。た、確か絶望帳面は絶望を書いたら事は終わるんじゃなかったか?!」
僕は汗を顔中にかき出した。
とにかく、絶望帳面片手に、駅前の文房具店に急いだ。
暗い不気味な空を頭で感じながら、僕はいつもの道とは思えない暗さを走り抜ける。
空からは不気味な色に加えて、不気味な音が響きわたる。
隕石の速さが伝わる。
走った足元から微かに地球が揺れ出している。
僕がこの手で、この今を作り出してしまったのかと思うと、胸の動きが早すぎて上手く呼吸ができない。
勢いよく文房具屋さんへと入ると、文房具屋さんは今日も冷静なほどに綺麗で静かで、涼しかった。
店員さんは1階にはいなかった。
そりゃそうだ。
あと1時間で地球が終わるのだから。
僕は昨日、文房具の歴史展をしていた2階へと急いだ。
「え?」
2階に着くと、そこは廃墟ビルのただの汚い広場だった。
昨日は、新築のこのお店で文房具の歴史展をあんなに大々的にやっていたのに。
なぜだ?
僕はポツンと2階に立ち尽くした。
すると、コンコンコンと後ろから足音が聞こえてきた。
振り返るとそこには昨日の笑顔固定の店員さんがいた。
「だから、言ったでしょう?」
「え?」
「だから、取り扱いには注意してください、と言ったでしょう?」
「このノート知っているんですか?!」
「絶望帳面。1580年に発見されたノート。そしてこの2022年にまで伝わるノート。君はちゃんとこのノートを読みましたか?」
「読むって言ったって、ただのノートですよ?」
「絶望帳面の一番最後のページも読みましたか?」
僕はページの一番最後を開いた。
そこには最後の1行に文が書かれていた。
この絶望帳面を私の442年後の子孫の手に届けるべし。
なお子孫の記した文章はいかなる場合も絶望化すること。
なお全てを無しにする場合はこの絶望帳面を燃やすべし。
永遠に封印す。
僕は読んでいた手が震えていた。
この絶望帳面は大昔の僕の祖先から計画されていたことだと知った。
この文章によって、全てがさらに絶望化していた。
ハッと店員さんを見ると、横にいた店員さんはいなかった。
僕はこんなことしてる場合じゃない、早く絶望帳面を燃やさないといけない、と1階の出口へと駆け出した。
すると、あの冷静で綺麗な広い文房具屋さんは一部分もなかった。
廃墟ビルの跡地でしかなかった。
僕は定規を自分で割ってからこの物語が始まっていたことにようやく気付いた。
また、家まで走った。
走って走って走って、あと30分後には衝突するであろう隕石を頭上に僕はまた走っている。
家につくなり台所にあるマッチ片手に庭に出た。
僕は、思いっきり引いたマッチを絶望帳面に移した。
ボワッ!!
鋭い音と共に一瞬にして絶望帳面は火だるまになる。
1ページ、1ページが燃え散っていく。
「あんた、ヤケになるんじゃないよ!」と驚いた母さんが庭に出てきた。
「違うよ、母さんとの未来を守るためだよ」
僕は燃えゆく絶望帳面を眺めながら言った。
こんな恐ろしい歴史を2度と続かせるもんか。
僕が僕の未来を守るしかない。
そして、絶望帳面は数分後あっけなく灰となった。
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「ほら、朝よ。起きなさい」
ハッと目覚めるといつもの天井が目に映る。
いつもの壊れかけたクーラーの音が耳を通る。
僕はまたこの平凡と向き合っていくのだった。
(編集部より)本当はこんな物語です!
中学2年生の太刀川照音(しょおん)は、学校でいじめられ、表紙に「絶望」と記した日記帳にその悩みを書き連ねていました。ある日、頭の大きさくらいの石を見つけ、それを「オイネプギプト」という神としてあがめるように。いじめグループの中心にいた是永雄一郎の死を祈ると、彼は校舎の屋上から転落死します。絶望ノートに書くたびに事件が起きる。照音が書いた日記を読み進めるうちに、事件の意外な真相が解き明かされていき……。
『葉桜の季節に君を想うということ』のどんでん返しで知られる歌野晶午さんんの技がさえ、深さと広がりを持ったミステリーに仕上がっています。